ニュース&トピックス

【朝礼】神の恩寵を受ける秘訣 -まじめ-

人生の途上で私に出会った方々に、私が残していける最大のプレゼントは「どうしたら神様に可愛がられるか」という秘訣です。

私は神様に大変可愛がられたと思います。いい人生でした。本当に顧みて思い残すところが無いです。世の中に、こういう人は少ないのではないでしょうか?普通は後悔の多い人生だと思います。しかし幼い頃から今日まで振り返ってみて、いい人生だったと私は実際思うのです。

なぜそういうふうに、いい人生が送れたのかと思うと、私は何事に対してもまじめだったからかな、と思います。実にまじめでした。学校の教師にも「君はまじめだね」と評価されていました。だからまじめに恋愛したし、酒を飲んだし、まじめに働いたし、まじめに神様に向き合った。全て本気でまじめにやりました。いい加減、中途半端、斜めに向いて生きるということが無かったと思います。そして、それは神様が可愛がって下さる一番大きな要因ではなかっただろうかと思います。

パウロを見ても、あの男はまじめでした。パウロが冗談を言う、というのはちょっと想像できません。アブラハムもモーセも、みんなまじめにやったと思います。

みなさんの中でちょっと私はふまじめだなと思う人は、神様の寵愛を一身に引き受けることはできないと思ったらいいと思います。神という方もまじめな方だと思います。「神の冗談」という小説は書けないと思います。あの方も多分、〝吉本〟はダメだと思う。やっぱりキリスト教はまじめな世界だと思うのです。「ああ、まじめに生きてよかった」、そう私は思っています。キリスト教のリズムと自分が合ったのです。

私は神様に寵愛を受けたと思います。神様はみんな平等に寵愛を与えたいと思っていらっしゃいますが、寵愛を全ての人には与えることができないでいます。それは神様との関係がまっすぐに繋がっていないからです。穴があいていて途中で洩れていたり、あるいは逆流したりして、皆さんのところに神様の恵みが届かないということは山ほどあると思います。しかし私は、自分がこんなに寵愛を独り占めしていいんだろうか、と思うほどに寵愛を受けたと思います。それはみなさんにも当然与えられるべきものです。みなさんはそれだけの資格を持っている。なぜなら神の作品である人間ですから。

足りないのは、まじめさです。息抜きをして、あるいはいい加減な態度で神様に向き合っている。その辺りを調整なさると私が味わったと同じことを皆さんも味わうと思います。せっかくクリスチャンになりましたから、神様の寵愛をぜひ一身に受けて「神は愛だ!神の愛は計り知れない!」ということを告白して、この人生を全うなさったらいいんじゃないかと思います。

私は、みなさんに、私が味わった幸せをお分かちしたいと思います。それに対する私の秘訣は「まじめ」でした。心当たりのある方、ぜひ私の生き方を踏襲なさって、楽しい人生を送られることをお祈りしています。