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惠泉塾前史~我が愛しのベルナデッタ

ベルナデッタ・スビルー、1844年1月9日に生まれ、1858年2月11日から3月25日まで18回にわたってルルド(仏)の洞穴で美しい婦人のご出現に遭い、1879年4月16日に結核で死んだ。彼女は6才の時から呼吸困難を伴う気管支疾患があり、10才、軽いコレラに罹り、喘息になり、結核へと悪化していった。貧しい田舎の子で、地味で清潔な服装に自尊心と品位があらわれていたという。ふだんのベルナデッタは非常に愉快で、快活で、またいたずら好きで、率直にものを言う性質だった。そして正直が生涯を貫く美徳だった。反面彼女は頑固で片意地で激情のあまり思慮のない荒々しい口答えをして他人の心を傷つけることがあったという。だから、1866年来彼女が身を委ねたヌベール会修道院のマリー・テレーズ総長は「学問のない下品な百姓娘にすぎない」と蔑み、多くの修道女も「無学で全く無益な修道女」と思って軽蔑し、この病弱な娘を苦しめたようであった。上流階級の子女をもって構成する教養高いヌヴェール会は貧農の娘の居心地良い場所ではない。それでもベルナデッタは生涯自分の弱点と戦い、「傲慢な私のために祈って下さい。」とへりくだり、総長やそのとりまきの軽蔑や冷たい仕打ちを甘受し、よく忍耐して、カルヴァリの十字架まで登りつめた。そしてそれが聖母の聖旨(みむね)であったようだ。「私はあなたをこの世で幸福にしようと約束はしません。来世で幸福な者にしてあげましょう。償い!償い!償い!罪人の為にお祈りなさい。」ベルナデッタは心の慰めや健康の回復よりも苦難を耐え抜く力を願った。苦難こそ自分を守り、自分を清め、成聖に至らしむる恩寵であると知っていたからである。