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2月 聖霊という名の懐かしい空気

「聖霊はめいめい個々人に宿るが、それに先立って、エクレシア(集団)に宿り給う。」

 札幌キリスト
召団のルーツは、内村鑑三の流れを汲む独立伝道者小池辰雄が設立を宣言したことに始まります。召団とは、ギリシャ語のエクレシアの訳で「神に召し出された人々」を意味しています。小池辰雄に聖霊が降臨して召団という群れが生まれたように、水谷惠信に聖霊が降臨してこの群れは生まれました。聖霊が降るとそこにキリストが立たれるがゆえに、観念信仰を打破し、聖書に基づく生活から醸し出される温かい人間関係の空気が生まれます。すると、そこには人が吸い寄せられて群れが生まれ、大きくなっていきます。人が醸し出すのではない同一の懐かしい空気が生まれて流れ出し、心病んで生きづらい人の心をもほぐし、奥深くに隠れた傷を癒し、元気を回復させるのです。  この人間関係の空気こそ“愛”すなわち聖霊と呼んでもよいと水谷先生は語られます。愛は一人では成立しないものです。人と人との関係の内に存在します。信州小諸の石垣会にあった空気は、死線を越えて苦しみを耐え抜いた名もない老婦人たちのいぶし銀のような信仰から生まれました。彼女たちの自然な語らいの間から漂う空気が、人の心をくつろがせ、癒すことを知った先生はその魅力が忘れられず、北海道に移植しようと決心され、神の導きによって惠泉塾が誕生したのです。  この共同生活の群れを育てて愛の空気の再現に成功した先生は今、石垣会にあったのよりもっと深く純粋な、愛なる霊の働く共同体に育っていることに目を見張り、神を褒めたたえていると仰います。このまれに見る愛であり、霊であり、スピリットである空気は、ただ神に対する絶対服従の信仰だけが受け継ぐことのできるものです。再現することも永続することも人間の力ではできません。“無者キリスト”のスピリットを受け継ぎ、“愛し合って一つとなる”世界づくりの前進のためにのみ、神の御心は動かし得るのです。  惠泉塾が、神が共におられる共同体として回復され続けることを、まれなる祈りの人である水谷先生引退後の今年も、召団員一同心を合わせて祈ります。【写真:雪下ろしのために上った屋根から見た風景】