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4月 現代版 ラザロの復活! ~余市教会 藤川和夫さんの記録から~

2020年1月21日夜、青地伸洋君の容体が急変して危篤状態に陥ったという連絡を受けました。青地君は抗がん剤治療のために治療を続けていましたが、心臓が3回停止して人工心肺装置で生かされているというのです。翌日、手術予定の札幌の病院に着くと、血栓が詰まっている場所が心臓から両肺へ向かう毛細血管に及んでいるため、手術はできないと聞かされ、私はショックを受けました。そのうえ主治医から、「ICUにいる彼に会ってあげてください」と言われ、絶望的な気持ちになりました。
機械を外せば死んでしまう、植物人間のような青地君に面会したとき、家族の方がそっと掛布団をめくってくれました。彼の右手に触れると温かくて、そこに命がとどまっているのを感じ、私はそのまま数分間、創造主なる神様にお祈りしました。心の底から祈ったとき、青地君の体には何の変化もありませんでしたが、神様のご臨在の中、光輝いて見えました。まさに神様が創造された人であり、今なお神様が生かし続けておられることを感じました。
翌1月23日には、水谷先生が青地君を見舞われ、病院まで祈りに行ってくださると伺い、私は期待に胸が膨らみました。そのときの四宮裕明さんからのメールを紹介します。
「昼前に水谷先生が祈るために来てくださり、母親、ご長男、私と先生の4人でICUに入り、先生が祈ってくださった。特に手を置くこともせず、声も出さず、青地君の枕元で立ったまま5、6分祈られたが、その最中、人工心肺装置で生かされ、意識もなく手も拘束されて動けないはずの青地君が、突然、腹筋体操をするかのように三度も起き上がろうとして、激しく上半身を宙に浮かせた。いろいろな装置に繋がった管がはずれかかったのか、装置の表示画面が点滅し、警告音がビービー鳴り始めた。驚いた私はカーテン一つ向こうにいる看護師を呼んだが、看護師が入った途端、何ごともなかったかのように静まった。」
また、水谷先生ご自身、このとき青地君の体が宙に浮いて落ち、三回ベッドが軋む音がしたとおっしゃいました。この出来事を聞いた私は、2000年前、目の前で死んだラザロが墓から出てきたことを目撃した人のような、大きな衝撃を受けました。なぜなら、水谷先生がお祈りされたICUの同じ場所で、わずか15時間前に青地君のことを必死で祈った人間です。植物人間のような彼が復活することなどありえないことを、誰よりもよく理解しているからです。まさに「ラザロ、出てきなさい」とイエス様が大声で叫ばれた瞬間、あの場所にいたような興奮と感動が全身を駆け抜け、祈りの力のものすごさを実感させられました。

その後の青地君の奇跡的な回復を、四宮さんのメールから紹介します。
1月23日、水谷先生が祈られた後、低かった血圧が上がって腎臓の値もよくなってきたので血栓が溶け始めた。
1月24日、人工心肺装置を外す手術成功。血圧、脈ともに安定したが、人工呼吸器は外せない。心臓が三度停止したことによる脳障害や意識が戻らない可能性、出血や合併症の危険性もあり、厳しい状況が続いている。
1月28日、小樽の病院へ戻る。血圧、酸素、腎臓の状態が良くなっているが、抗がん剤治療は再開できない。瞳を半分開くことはあるが、眼球が動いていない。意識の回復を期待し、肺の血栓を溶かす治療を続けている。血流がよくなっても意識が戻らないと人工呼吸器は外せない。
1月30日、話かけると頭を動かし、若干の反応を示し始めた。今までより大きく目を開けて眼球も動いた。足を曲げたり動かしたりし始めた。
2月3日、ICUから回復室に移動。手足を動かすように言うと何とか動かそうとするが、自由に動かせるわけではない。母親とノンクリスチャンの妹が毎晩神に祈っている。
2月6日、青地君の劇的変化。気管切開手術のために人工呼吸器を止めてみたら、医師の予想以上に自力で酸素吸入でき、口から送管チューブを外して鎮痛剤を止めると明らかに意識が回復しており、医師の声掛けで手足を動かしたので、急遽、手術を中止した。慎重に人工呼吸器を外してみると最低限の酸素吸入で自力呼吸ができている。気管切開しないことで、話すことも口から食べることも可能になる。母親が来て手を握った途端、興奮したのか、発作でも起こしたように左手を大きく震わせ、両足も大きく動かした。声掛けに以前よりもはっきり応答し、目も首も大きく動かし、起きようとさえする。
2月8日、(藤川の記録)青地君と2回目の面会。前回は水谷先生が祈りに行かれる前日で意識はなかったが、今回は意識が回復し、ベッドに寝たままだが話す人を目で追いかける。私が果樹剪定の話をすると口を大きく開け、歯を全部見せて笑った。剪定の話には3回とも反応した。容体も安定し、アトピー性皮膚炎の顔がすべすべの肌に変わっている。
2月12日、理学療法士、言語療法士、作業療法士によるリハビリ中。声掛けに対して、「感謝しています」「目(涙)を拭いてください」と確かに発声した。お祈りの後ははっきり「アーメン」と応答。皆が祈ってくれていることを話すと、感謝の思いがあふれるようで顔をくしゃくしゃにし、涙を流して泣いた。
2月22日、(藤川の記録)青地君と3回目の面会。日常会話が普通にできる。私から握手を求めると、女性並みの力で握り返し、私が手を放すまでずっと握っている。彼が気になっている剪定の話をして無事終えたことを報告すると、ホッとした、と安心したように言う。
脳に障害はないようだが、1月21日に倒れる数日前からの記憶が消えている。記憶が戻ったのは小樽の病院に戻ってからだという。ちなみに、2週間前、私が面会したことは覚えていた。1月22日、私が青地君に会ったときは機械で生かされていたこと、1月23日に水谷先生が祈ってくださり、ラザロが墓から出てきたような回復劇があったことを話すと、改めて「神様はすごい」と感動して泣いた。そのとき私は青地君と神様との関係が回復したのだ、と思った。
死んだラザロが復活するという2000年前の福音書のできごとが今も続いている日本キリスト召団の信仰生活。神の秘められた計画に関与できる私たち。青地君の毎日毎日が変化の連続だ。何と素晴らしいドラマを目の前で見せていただいていることだろう。青地君を通して見せられた、天地創造の神様にしかできない復活の御業を褒めたたえます。