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5月 若者から若者への手紙

「○○様 水谷先生から『○○君が調子を崩している』と聞きました。『病からの解放、立ち上がり方を教えて

やってくれ』と言われましたので、微力ながら手紙を書きました。  私は今、お客様に仕えるという熱い思いから、日々の一歩一歩、一瞬一瞬を真剣に生きています。私はこの瞬間瞬間に命を注ぎます。感動があり、やりがいのある仕事です。  かつて、眠れず、苦しんでいた私は今はいません。骨の髄から力が湧いてきます。4時間の睡眠で十分です。困難が立ちはだかるときも、主よ!!と叫び、現実の胸ぐらをつかみ、投げ飛ばします。やるしかないのです。  ○○君、君の苦しみは無駄ではありません。無力を受け入れるとき、キリストが立ち上がります。キリストは最強の友です。そして、私は君と同時代に生れ落ちたことを誇りに思います。  だから、立ち上がってほしい。私は弱いが、君も強くない。認めよう。どん底から這い上がろう。強くなろう。忍耐と不断の修練をもって。双肩に宿る使命、生きたくとも生きられなかった友の魂のためにも…。」 「余市惠泉塾」で倒れてしまった若者のために、「丹波の宿 恵泉」で働いている若者が手紙を書きました。友に立ち上がってほしい一心で、誠実にしたためられた手紙には、力があり、命があります。かつては自分も倒れていた。つぶれていた。みんなに迷惑をかけながら生きてきた。いや、生かされてきた。その事実と実感が、この手紙の原動力ではないでしょうか。しかし、生かされることには意味があります。生かされた体験を、今、必要としている人を生かすために用いる、という存在意義です。  このようにして、一人の若者がどん底から立ち上がって元気になって働くことには、本人一人の喜びに終わらない喜びが天にあり、人にあります。愛し合う輪を広げるための共同体作り、それを私たちは目指しています。だから、4人の健康な人の輪に一人の健康を損ねた人を巻き込んで回復を図る営みを続けているのです。お互いが支え合う関係づくりこそが最終目標です。「生きたくとも生きられなかった友の魂のためにも…」、このような若者同士のやりとりが神様によみせられますように、と祈らずにはいられません。