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10月 受洗された丹波教会の亀田まゆみさんへの手紙

お便りに感謝します。「正直に言うと私自身、羅針盤はキリスト教でなければならないということではなかったと思います。異なる者が愛し合って一つになるということは、宗教が違っていてもできることだと理解しています。札幌キリスト召団はこんな者でも受け入れてくださるでしょうか」というご質問にうまくお答えできるかどうか分かりませんが…。

人生の途上、生きる意味を見失ったり、道に行き迷ったりしていた者が、いつ、どこで、誰に出会ったか、その人から何を学んだか、それが大切なのではないでしょうか。あるとき、仏陀の教えに出会った人が、一生涯をかけてその教えを学び、教えに殉じるならば、その人にとってそれが真理(生き方)なのです。他人がとやかく言うことはできません。
水谷先生は、いかに生きるべきかに悩み抜いていた人生の途上、20歳のとき、神キリストに出会ってしまったのです。先生自身もさることながら、神の方がもっと熱心に先生を愛し、探し求めておられたことを知り、先生もそれに応えて人生を献げる決意をされました。そのように、人間は神様から探し求められている存在なのだということを、それまで先生は知らなかったそうです。出会って初めて知ったからこそ、あのように、神の愛に目覚めて、まるで殉教者のように捨て身で生きられるのではないでしょうか。
これは比較の問題ではありません。生きたご人格に運命的に出会い、その人格神の愛に捉えられてしまったら、もうその愛に応えざるを得ないのです。目には見えないけれども、今も生きておられる神というお方と激しい恋に陥ったようなものだと思います。全く別次元から突然、神が自分の人生に介入して来られる。出会ってくださる。信じられないかも知れませんがこれはとてもよく分かる本当の話です。というのは、その水谷先生に出会って、その教えに惹かれて先生についていったら、20年後、私も同じ生ける神に出会ったからです。
つまり、生けるまことの神を知っている人に導かれてその道を歩けば、まことの神に出会うことができる、ということです。すると、何と、聖書に書いてある通りのことを2000年、3000年のときを超えて、今ここで体験できるのです。これはどの人にとっても人生を生きる最大の秘訣だと思います。そして、まことの人生の醍醐味を味わえる道だと思います。
若い頃からなぜか生きる意欲に乏しく、死にたい症候群だった私も、この真理に出会って、生きる意欲と、自分の存在目的に目覚めることができました。人を慰めたり、励ましたり、勇気づける道ならば、キリスト教でなくとも、様々な教えや思想があると思います。でも、人に伝えるのに、知識としてではなく、自らの体験告白として伝えることができるとは何と幸いでしょう。それがまた、真に相手を生かすことにつながるのではないでしょうか。
学校教育は単なる知識の紹介に過ぎないというもどかしさが、教員時代の私にはどこかにありました。水谷先生は22年間高校教育に携わり、その教員生活は恵まれ、充実していたにもかかわらず、人を真に生かす命を与えることはできなかったそうです。ところが、惠泉塾という人生道場を始めてからというもの、死んだような者が甦る、人生が覆る、人が新しく造りかえられる、という劇的なことが続々と起こって今に至っている、と仰います。やはり、私たちは教育者ですから、そういう根底的な人間のひっくりかえりを目の前にして、この生ける神様の実力を見せつけられたら、脱帽せざるを得ないのです。人間業などではない、救いの神の力は本当にすごい!と、私のような者でも毎日が感動の連続です。自分の未熟さゆえに、水谷先生のようには信じきれず、苦しむことももちろん多々ありますが…。
まゆみさんもぜひ、この聖書の神様との出会いを果たしてください。そうすれば、なぜ、この一本の道を勧めるのかが分かります。それを信じて、今を歩んでみてください。どの思想信条や宗教にもある真理を否定するつもりは全くありませんが、本当に圧倒的な実力差なのです。 長くなりましたが、本日はこれにて。感謝して。   (余市教会 長野初美)