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3月 一番大切にすべきもの

 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(マタイによる福音書13:44)

畑は「世界」、宝は「愛」。この世には宝が隠されている。「造り主の愛」という名の宝である。しかし、そんな愛など誰も知らないし、見たこともないから世の中にあっては隠されている。「造り主の愛? 自己犠牲の愛? そんなのあるわけない」と頭からはねつけて誰も信じようとしない。だが、余市に来てみると、「自己犠牲の愛が本当にあった!」とほのかに分かる。まだ、未完成で完全ではないけれど、それにしてもここに愛があると分かった人は宝を見つけた人である。「神の愛」という宝を見つけた人は、それがどんなに価値のあるものかが分かるので、全財産を費やしてもその畑を買う。
私の一生のテーマは「愛」であった。それは小学生のときから追い求めてきたテーマだった。そして、とうとう、それを信州小諸の石垣会で見つけた。結核(脊椎カリエス)を癒された川口愛子さんがつくっていた小さな愛の世界。それを見て、「ああ、長年探し求めていたものはこれだ!」と分かった。それを北海道に移植したいと願った。神と共に歩いて、私は移植に成功した。20年以上にわたって愛し合う世界が繰り広げられた。今や世界に押し広げられようとしている。これが惠泉塾である。世にはない愛し合う共同体である。世界中で試みられたが成功しなかったようだ。私は20歳で神に出会って神の愛を知り、聖書を熱心に読んで、願い通り、このテーマに身を献げることができた。
また、その願いが神の御心に適ったので、神は私に天地創造の目的を啓示してくださった。それが互いに愛し合って一つとなる世界づくりであり、イエス・キリストを世に送った神の秘められた計画である。これはもう、絶対に誰もが知らなければならない、つまり、創世記から黙示録まで一貫して述べられている聖書の「福音」なのである。ところが、このことを今日まで詳しく語った人が誰もいない。これはとても不思議なことだ。ルターもカルヴァンも内村鑑三も小池辰雄も語っていない。聖書にはたくさん書いてあるのに。
一番大切にすべきものは何か。神を知り、造り主の愛に目覚めることである。天地万物の造り主なる神様に喜ばれる生き方をして、天の国の住人になることである。神に喜ばれる正しい生き方とは何か。それは十字架を担う生き方である。では、正しい人とはどういう人か。「正しい人々はその父の国で太陽のように輝く」(マタイ13:43)とある。良い種を蒔く正しい人、イエス様の弟子となってイエス様のくびきを共に負い、イエス様に倣う人である。自己犠牲の愛の持ち主である。その人は神様に愛され、神は喜んでその人と共に暮らしてくださる。すると、私たちの必要の一切は愛によって補われる。健康も経済も人間関係も…。神はそのご本性が愛なのだ。
神は共にいて私たちを助けたいのである。人間は神抜きに自立できるようには造られていない。神と共に歩いて初めて正常に機能するように造られている。「もし私があなたがたと共に歩くならば、あなたがたの必要を私は補う」と聖書にあるように、祈る前に神は私たちの必要をご存知で、黙って補ってくださる御方なのである。今年は、沖縄に総工費6億7千万円の建物が建つ。神がお建てになる。私たちは神が必要を補ってくださるという信仰をもっている。その病院は心病む人たちのためである。どんな難しい患者さんも門前払いしない、断らない病院である。そこは終着駅であり、これ以上向こうはない。どんな問題も引き受けていこう、一緒に悩もう、苦しもうとする病院である。
今、沖縄に癒しの村をつくろうとしている。世界中が注目するだろう。心の病や依存症だけではない。あらゆる難しい問題はそこで解決する。その万能薬は何か。愛し合うことである。薬ではない。豊かな自然でもない。愛し合う空気こそがあらゆる問題の解決方法なのだ。それを私たちは20年以上かけて実験し、成功して神に喜ばれている。

(水谷幹夫/2019.1.20 沖縄での主日礼拝メッセージより)