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4月 恩師との出会いと別れ ~鈴木秀一先生を偲んで~

 水谷先生の恩師、鈴木秀一元北大名誉教授が去る2月26日に亡くなられた。水谷先生の著書『壊れた私 元

気になった』に推薦文を書いてくださった国語教育の大先輩である。NPO北海道自由が丘学園というフリースクールの立ち上げからスタッフとして関わられた実践家でもあった。「人間教育の現場・惠泉塾」と題するその推薦文(2002年)を紹介したい。  著者の水谷惠信さんとは、水谷さんが高校の教師をしておられた時に知り合いました。国語教育に関心を持っておられた教師の方々や大学の同僚と「北海道国語教育研究会」という会を作って、高校段階での国語教育の改善の試みを追求しようとしたのです。この会で、認知心理学の理論的仮説を立てて文芸作品の読みの指導を構築し、実践で確かめるといった試みをしましたが、この実験的実践を積極的に担って努力をされたのが水谷さんでした。  惠泉塾は、牧師としての水谷さんが神の声を聴き、「終末の世の大自然の中に人生の学舎を営まん」と決意をされて始まった「人間教育のための学舎」でありますが、ここに水谷さんの優れた国語教師だった実践力が有機的に組み込まれ、優れた成果を上げておられるのに、さもありなん、と思いました。  辞典を使っての学習や日記指導、一筆箋で手紙を書く指導で基礎学力をつける実践、塾生のお母さんの指導による俳句とはがき絵作りを中心とする「若者の集い」の実践といった具合に、惠泉塾の実践には言葉とコミュニケーションの力を培う指導が生き方を変えることと結びついて行われています。このような指導の中で、塾生たちの言葉の力は飛躍的に成長している、と指摘されています。文学作品や作文の指導では、これまでの学校教育の中で、生き方について考えさせる指導がなされてきましたが、彼の実践は、生き方を神の教えに従って考える、という点で一層の強さを示していると思われます。  水谷さんは、生き生きとした生き方を取り戻し、健康を回復して社会で活躍できるまでになった人の例だけでなく、元気になれなかった場合についても、冷静に分析しておられます。どういう場合に元気になれなかったかについて、5項目を指摘されていますが、これらの指摘は惠泉塾の場合にとどまらず、既存の学校教育の場合にも、また不登校生を受け入れているフリースクールなどでもうなずける指摘と言えます。私たちも夕張市と札幌市で不登校の子どもたちを受け入れて教育実践をしていますが、信頼感の欠如や自分へのこだわり、自分中心の強い考えが子どもたちの成長を阻んでいることを痛感しています。  この惠泉塾の実践記録から、同じような宗教的施設だけでなく、既存の学校やフリースクールなどの教師たちが多くの教訓を汲みだすに違いないと確信します。