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6月 余市体験入塾中に訪れた静かなペンテコステ

 沖縄の那覇から北海道の余市へ体験入塾に来られたSさんは、5月1日から7日間、惠泉塾で私たちと信仰生

活を共にされた方ですが、6日目の朝の聖書の学びで神に捉えられ、霊的覚醒に導かれました。本人曰く、「穏やかでひそやかで平和に満ちた訪れ」だったという聖霊体験の記録が「宿帳」に遺されています。以下に抜粋で紹介します。  この1週間の体験入塾で、私は自分の中のヤコブという古い自我、固い殻に、主が水谷先生を通してヒビを入れてくださったことを確信しました。まだ完全に割れないまでも、ヒビが入って体験終了…という私の勝手な予想は、しかし、「そこがお前のヤコブ性なんだよ」と言わんばかりに6日目の朝、主がみごとに打ち砕いてくださったのです。 本当に、天地万物の造り主であられる神様は、いつも、今も、力強く働いておられ、依り頼む者の祈りに応え、割り、砕き、倒し、投げ出し、そして再び立ち上がらせてくださる御方であることを、今朝のデボーションを通して、御言葉の力と確かさをもって思い知らされました。今朝は、2002年ペンテコステ記念礼拝CDより、ロマ書8章から「御霊の命」と題する水谷先生の講話を聴きました。講話や説教の原語ケリュグマは「宣教」という意味を含んでいます。つまり、神の言葉を説き明かし、聞く者を聖霊によって悔い改めに導き、主の十字架と復活の証人として伝えずにはおれなくさせる、それがケリュグマです。その意味で、今朝の講話はこれこそが本当のケリュグマだ!と感じました。神様が私にもそのように御霊によって働いてくださったからです。今までの信仰は信仰と呼べるようなものではなく、単に自我にしがみついていただけでした。主は豊かな寛容と忍耐を示され、そんな私を憐れみと慈愛をもって受け入れてくださったのです。そのとき、キリストの十字架がまさに私のためであった、ということを体験として知りました。  この1週間、共同生活に慣れることと、神と自分との関係を見つめ直すのに精一杯で、すっかり忘れていたことがあります。体験入塾の目的です。それは「御霊の火を燃え移らせてもらう」ということでした。御霊は火だからです。火の無いところに何とやらで、一番確実な方法は、火の燃えているところに自分自身を投げ込むことだ、と思ったのです。神の約束の確かさは人の思いを超えてアメイジングです。神のご計画の遠大さは、私には到底理解ができません。次は私がどう応答するかです。今は、兄エサウと再会するために集団の先頭を進んでいくヤコブ(イスラエル)の気持ちです。主の御名を褒めたたえます。そして、ありがとうございました。また来ます。 -2017年5月6日土曜日の夕刻に-  Sさんは、学校を休みがちな長男が抱えている問題や自身の仕事上の過重なストレスから来る体調不良という問題解決のために余市惠泉塾に来られました。その1ヵ月前には奥さんと小学生の四男も春休みを利用して余市に来られました。高校生活で悩み、生きる意欲、希望がもてないという長男を前に、本当の人生を生きることを、自分たちは子育てを通して子どもに手渡していないな、と感じたそうです。そこでまず、夫婦が主にある喜びの人生を送っている姿を見せなければ駄目だと思ったことがきっかけで、今回の体験入塾が実現しました。求める者の切なる祈りに主は応え給います。そして、このご家族の人生に深く介入され、ご自身の遠大なご計画に尊く用いようとされているのではないでしょうか?