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【朝礼】人生いかに生きるべきか -存在意義に目覚める-

「自分はなぜこの世の中に存在しているのか?」その意味について私たちが理解できないならば、苦しいことがある時に逃げ出したくなります。また、何もしないでラクして暮らしたいと思ったり、平気で時間を無駄に費やしたりしてしまいます。

もし〝自分の存在の意味〟が分かったら、もう、とても時間を無駄に使うことはできなくなるでしょう。その人は寸暇を惜しんで頑張るようになります。人間とはそういうものです。ですから一人ひとりが、自分の存在している意義を自覚することはとても大事です。欧米の文学は大体、このことがテーマになっています。日本文学はそうではなく、花鳥諷詠ですから「月が美しい…」といった感じです。

最近の心理学ではよく〝セルフ・アイデンティティ〟と言います。つまり〝自分の自分らしさ〟のことです。自分らしさの追求、自分探しの旅に出るというのが少し昔に流行(はや)りました。自分の自分らしさというのは、どうやって見つけることができるのでしょうか?

 

一つは世の人の評価です。「あんたよくできるね、この仕事に向いているんじゃないの?」と他人に言われて、「そうかなあ」と自分らしさに気付くということがあります。

私が勤めていた高等学校からは、柔道、野球、バレーボール、バスケットボール、スキー、とたくさんのオリンピック選手が出ました。そういう選手がどうやって私の高校に来るかというと、顧問の先生が中学生の大会を見に行き、優秀な選手を探して引っ張ってくるのです。

その時、先生は中学校の大会で今まさに活躍している選手を連れてくるわけではないのです。試合に出られず、ボール拾いをしている中に、実は優れた選手がいるのだそうです。中学の監督は、その子が優れた選手だと分からないので、実質3番手ぐらいの生徒をエースに使っているのです。一番手になれる子が試合に出られずボール拾いをしている、ということがあるのです。

オリンピックに生徒を送り込んでいるような先生方は、そういう選手の中にピカッと光るものを見出して「お前、うちの高校に来ないか?」と誘うわけです。すると生徒は中学校では活躍できませんでしたから「えっ、いいんですか!?」と言って、喜んでやって来るのです。やがてその生徒はオリンピック選手になっていくのです。大切なのは目です。その道の先輩、〝目利き〟はまだ発芽していない才能を見出す目を持っているのです。

私たちは自分では自分に才能があるのかどうか分かりません。でも人生の先輩から「君、いい線行っているよ。筋がいいよ」と言われると、すごく嬉しいですね。「それじゃあその道に進んでみようかな」ということになるわけです。

 

私には芸術大学でピアノを学んだ二人の親戚の人がいます。

一人は大学院まで進んだ時に、ロシア人の先生から「あなたには芸術家になる才能が無いから、ピアノの先生になりなさい」と言われました。それまでずっとピアノの腕を磨いて来たのにピアノの先生にしかなれない、と言われてはショックです。しかし、その先生は彼女には才能が無いと判断したのです。

もう一人はロシアの先生に「あなた、ロシアに来ない?」と誘われました。先生はご自分が日本での何年かの仕事を終えて国に帰る時に彼女を連れて行って、母国でトレーニングしたのです。先生は「この子は、やればできる」と思ったのです。そして彼女はロシアから帰って来てスイスに行き、それからウィーンに行って腕に磨きをかけて帰って来ました。彼女には筋があり、ロシアの先生は彼女の芸術家としての才能を見込んだのです。

先生の「お前には才能がある」という一言が、彼女に勇気を与えました。彼女は自分では自分の才能に気付かなかったけれども、ロシアの先生が言ってくれた一言で自分のセルフ・アイデンティティを形成しました。優れた先輩というのは、後輩の内に輝く才能をパッと見出すものです。

そしてもっと素晴らしい先輩がいます。それは神様です。神様は人間一人ひとりを造ったお方です。造ったお方は、最初から私たちに才能を与えておられます。それを天賦(てんぷ)と言います。天賦とは天が与える才能のことです。これは資質で、生まれた時からその人に備わっています。その才能を生かすことが天職、つまり天が与える職業です。

天が与える才能を生かすことによって仕事をする、それは〝その人ならではの仕事〟です。「好きこそ物の上手なれ」といいますが、天賦のあるところには楽しさが来ます。自分に才能がありますからあまり苦労せず、むしろ楽しいのです。楽しいから一生懸命やりますと、他人の目にその姿は〝苦労している、努力している〟と見えます。本人は努力している自覚が無く、楽しくて前のめりになり、その資質をどんどん磨いて伸びていきます。そして上手になっていくのです。「好きこそ物の上手なれ」です。

ですから嫌いなことを一生懸命やるのは何か素晴らしいことのように見えて、実は本質からそれているのです。本当に好きなことに打ち込むとことが大切です。しかし、〝好き〝となるには、ある程度やらないと好きになりません。ある程度のところまでいかないと、本当の面白味が出てこないのです。そのある程度のところまで行く途上、先生からの「お前、向いているよ」という一言がどんなに励みになるでしょうか。

 

フランスの1837年から1894年の大統領にカルノーという人がいました。あるお金持ちが晩餐会を開き20数名が招かれ、そこにカルノーも招かれて行きました。大統領は普通主賓で特等席に案内されると思うのですが、その晩餐会でカルノーは16番目の席に名前があり「何で俺が16番目なんだ」と腹立たしい思いで席についたそうです。1番の席にはフランスの鉄道技師が座り、2番目には大学教授の科学者、3番目にはフランスの有名な文学者が座り、16番目に大統領でした。

「この理由は?」と大統領がお金持ちに聞いたそうです。すると招待者は「人間の価値は社会的身分では決まらず、〝かけがえの無い人〟に価値がある」、つまり「この人にしかできない、という仕事をしている人に価値がある」と答えたそうです。「この鉄道技師は世界中探しても二人といない最も優れた鉄道技師で、この人がいないと電車が走らないという人なので、この人を特等席に座らせたのです。あなたは今は大統領だけど、次期大統領もその席に座るでしょう。大統領には替えがあるのです」と言ったのです。それでカルノーはガクッと来てしまいました。彼は偉人と呼ばれる優れた政治家でした。しかし何代も続いたわけではなく、次の代に取って代わられ、また別の人が優れた政治をしたのでしょう。

つまり首の挿げ替えられる人には価値が無い、〝この人ならでは〟という仕事をする人に価値がある、ということです。それが天賦・天職です。ですから自分にしかできない仕事、それをしっかりと見定めることが大切です。それは神様があらかじめ定めておられるものです。神様がすでに資質を与えているのですから、それを探らなければいけません。しかも若いうちに探らなければいけません、時間がありませんから。

素晴らしい先輩、素晴らしい神様に出会って、自分の資質を指差してもらえば勇気100倍です。そして世界に二人といない人間になっていってください。私たちは、そのために皆さんにご奉仕させていただきます。