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まさかこんな日が来るなんて ~惠泉いわき教会 星貞子さんの証言より~

 

一 88歳の母の決心

 

私がいわき教会で共同生活を始めてから9ヵ月が過ぎました。この生活によって私たちには体力も知恵もなく、何より愛がないことを自覚させられました。しかし、木下肇先生の導きの下、この教会がキリストの体として建てあげられるよう、祈りと愛の実践に励む日々です。そんな中、今回驚くばかりの御業を見せてくださった神様の出来事を証しさせていただきます。

2023年3月8日、その日は私の母正子の88歳の誕生日、孫たちから贈られた花束を抱えて食卓で満面の笑顔と喜びの涙を見せる母がいました。まさかこんな日が来るなんて、と感謝が溢れました。

母はにぎやかなところや人と話すことが好きな人でしたが、8年前に脳梗塞を患ってからは急速に老化が進み、心身ともに衰えていく一方でした。ここ2、3年は圧迫骨折を繰り返して足腰の衰えが目立ち、心臓も心不全状態が悪化、さらに重症の便秘症で排便へのこだわりが強く、毎日痔の痛みに苦しみ、「こんな状態でいるなら早く死にたい」とうつうつとして暮らしていました。

昨年、私が余市に行っている間は私の娘、まりこが介護をしてくれていました。余市から帰って間もなく教会で共同生活を始めることになったため、私が母の介護に専念することは難しく、また娘を自分の世話から解放してあげたいという母の願いもあり、結果的に施設に入所する方向になりました。

しかし、実際に施設探しを始めると、母は家族と離れることの寂しさや不安を訴えます。私も施設を見学する度に、静かに生気のない顔をしたご老人の姿を見て「本当にこれでいいんだろうか」と何度も思いました。どの施設も同じような印象で、入所後、コロナの関係で面会もままならぬことも思い、最終的に家の近くに決めましたが、決めてからもさまざまなことを思い煩う自分がいました。

苦しい状況の中で祈るうちに、「今のこの現実をすべて神様に委ねよう。必ず最善に導いてくださる」と思わされ、それを信じて施設への入所を決めました。

 

二  医療福祉の現実

 

入所後、窓越しの面会の度に母の顔に表情がなくなっていくのがわかりました。また施設の看護師が付き添う病院受診時に私も同席すると、下着を着ていな

かったり、薬の管理が行き届いていなかったり、また褥瘡ができていたりなど、十分に世話してもらえない状況が見えてきました。

1ヵ月過ぎたころ、母は部屋で転倒して大腿骨骨折で入院しました。約2ヵ月後、退院したと思ったら今度は低カリウム血症でまた入院して2週間で退院、その2週間後に今度は尿路感染症で入院、と入退院が繰り返されました。

病院はコロナ禍で全く会うことができません。入院が続き、食事もほとんどとれなくなり、毎日点滴することで生きているようでした。心不全も悪化し、常時酸素吸入もするようになりました。

1週間に一度の面会は、パソコンの画面を通してのオンライン面会、だんだん声も出なくなって徐々に衰弱していく母を見ながら、私は早く楽にしてあげてくださいと祈り続けました。

入院して2ヵ月が過ぎ、主治医から、今の状態は最後の時を待つ状態であること、高齢で全身衰弱、心不全悪化、今は酸素吸入と点滴、度々の痰の吸引で何とか維持しているが、いつどうなってもおかしくないと言われました。今後は療養病棟に移り、そこで最期を迎えるかどうかというお話でした。

療養病棟は入院治療を必要としなくなった患者に、医療的処置を施してただ死ぬのを待つようなところです。以前、実際に療養病棟に行ったことがあるので、私はその実態を見て知っていました。施設も病院も利益追求、人手不足と経費削減のため、利用者はその環境を受け入れるしかない状況でした。余市の虹乃家を思い、何と違うことかと思いました。しかし、それがこの世の現実、今の医療福祉であることを思わされます。

 

三  私の決心と母の変化

 

私は思わず「連れて帰って、家で看取りたいと思うのですが」と言ってしまいました。すると主治医は驚いたようでしたが「そういうことなら、帰るのは今しかないと思いますよ」と言われ、「家で看取るなら訪問してくれる先生を探さねばならないし、介護も大変だし、最後は苦しいところを家族も見ないといけない。大丈夫なの? どうするか決めたら早く教えてください」とも言われました。

「はい」と言ってしまった私ですが、そのために解決しなければならない問題がたくさんあったのです。今の病棟には2月3日までしかいられないので、それまでに退院しなければならないこと、その準備ができるかということ、共同生活ができなくなること、一人で介護することができるのか、訪問診療の医師は見つかるのか、などなど。何より共同生活ができなくなることが一番問題でした。

木下先生に相談すると、母を教会に連れてきて教会員に手伝ってもらいながら看てあげたら良いというご提案をくださり、水谷先生の許可も出て、母をマリ

アで、教会の皆さんにサポートしてもらいながら介護することになりました。

家族と母がこのことを受け入れて退院準備を始めてから何と1週間で退院することができました。ぎりぎりの2月3日でした。なかなか揃わない必要書類を、主治医が依頼した翌日に書いてくれたり、お願いした訪問診療の医師は、いつもなら訪問しないような場所に住んでいるのに引き受けてくれたり、とあらゆる準備がすべて前日までに整ったことにも驚きました。

こうして、看取ろうと思って連れてきた母でしたが、何と、みるみる元気になっていったのです。おかゆと刻み食から普通食になり、1、2割しか食べなかった食事を全量食べるようになり、嫌いだった野菜も「美味しい、美味しい」といって食べるようになりました。「皆で食べるから美味しいんだね」と言います。また、排便のこだわりや痔の痛みからはうそのように解放されました。痛いところはないのだそうです。そして、寝たきりだったのに車いすに座って一緒に食卓を囲むことができるようになり、夜間もよく寝ています。教会員の安島さんや坂本さんの介助も受け入れ、身を委ねています。

 

四  神の命に生かされる

 

あの痛みにうつうつとしていた母はもういません。木下愛さんが「死んだんじゃない?」と一言、まさに昔の母は死んだのだと思いました。今の母は、神様の命によって生かされているのだと思います。この世の現実の中でどうにもならず、母を神様に委ねた結果、神の家に招いていただきました。そして、神様は愛し合えない私たちを憐れんでくださり、また弱り果てた母をその愛によって愛してくださいました。その御業に皆が喜び、感謝と感動が溢れます。

さらに、神様はS君という新しい若い魂をここに招いてくださり、3泊4日の共同生活によって彼もまた命を回復しました。ここに来た初日のS君の顔が3日目には全く違う顔になっていたのです。声も大きくなり、目はいきいきと輝いています。ここにも神業が起こりました。悩み苦しんでいた若者がこのように意欲あふれる魂に変化していくのを見て、私たちはこの神様のなさりように感動せずにはいられませんでした。

見える現実の向こう側にある神の現実、今回、このことを深く教えられました。この神を信じるとき、苦しみの向こうに喜びと感動があり、そのドラマの中を生きることができるのだと知りました。この教会がますます神様に用いられる教会となるよう、愛し合うことに励んでいきたいと思います。

「天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを高く超えている」(イザヤ55:9)の御言葉通り、私たちの誰も予想しなかったことが起きたのです。悩み苦しむ若者が一瞬にし

て解放されていく、88歳の老人でさえつくり変えられていくというドラマを見せられました。新しい命が生まれる喜びは何物にも代えがたく、私たちはこのために生きているのだと思わされます。生きる意味、それは神の人生を生きることの中にありました。招いてくださった神様に感謝します。

( 2023年3月19日 惠泉いわき教会主日礼拝の証言より )