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惠泉塾前史~テンテコマイの新米教師

もうひとつの価値基準(1)K.M姉

話に聞いたことはありましたが、凡そ障害者とは疎遠だった一般社会から、素人の身で突然ポッと肢体不自由の養護学校に就職して、はや1年8ヶ月が過ぎました。昭和54年の義務制施行によって、それまで就学猶予や免除を受けて、家の奥深くに隠れたような存在であった重度の肢体不自由児も教育の現場に登場し、今や、単純肢体不自由児から何もできず横たわったままの生命維持段階の重症心身障害児まで、子供の様相は多種多様です。

校長先生が初めて見学させて下さった折の衝撃と戸惑い、また初め、子供に触るとこわれそうで恐かったこと、車椅子の扱い方が判らなくてぎこちなかったこと等が思い出されます。今も、まだ、多種多様な子供達を前にして、戸惑ったり悩んだり、時には途方に暮れたりしながらいろんな経験や試みをさせられている、というのが現状です。

よく、養護学校勤めは「のん気、根気、元気で」と言われますが、私には「知識・忍耐・体力」が不可欠に思えます。身体の構造や機能の知識、心身の発達の知識、障害・症状の知識、養護訓練の知識と技術、また教材、これら養護学校特有の知識の上に、今は小学部に配属されていますから、音楽・図工・体育もこなせなければなりません。図工や体育は何とか間に合わせることができても、小学校教諭の免許を持っていない私の場合、ピアノやオルガンは一朝一夕にゆかず、本当に苦労します。授業の他に季節や月ごとの学校・学級行事、そのたびに回ってくる役割分担の仕事、更に校務分掌事務、日々の授業の教材を増してゆかねばならぬのです。私の日常が察していただけるかと思います。