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惠泉塾前史~成長しよう共苦労して

今夏後藤さんと知り合うに及んで私は精神障害者の社会復帰の問題と向き合うことになった。何の基礎知識もない私は後藤さんの共同作業所に出入りする方々と触れ合うたびに自分の力量不足を痛感させられるので、手始めに熊本日々新聞社編「ルポ精神医療」(日本評論社)を読んでみた。重苦しい内容だった。意外な程この分野の医学が未熟なことや、病気に対する我我の無知や偏見の壁の厚さを教えられた。「今は2ヶ月に1度くらい発作がある。時間にして7分ぐらいかな。おかしいのはたったそれだけですよ。だから、できればそれ以外のところで皆と一緒にやっていきたい。でも現実は、その7分間のおかげでいろんな社会的制約を受けるんです。」これは36歳のてんかんを抱える婦人の言葉だ。また、入院中の家族の名を表札から消してしまったり、入院中の母親のことを子供には“死んでしまった”ことにしている人の話には胸を押しつぶされるような息苦しさを覚える。“家庭内棄民”という見慣れない言葉に心はうめかざるを得ない。社会の偏見の重圧に自分を支えきれなくなった家族の「生きのびる方策」が重荷を切り捨てることであった、と言うべきか。この社会を構成している一員の私は、誰を責めることもできない。現に我々は、重荷はできる限り切り捨てて、自分だけは楽な生活を維持したい、と思っており、煩わしい存在を次々に分離して暮らしやすさを守っている。人の心は共苦労の中でしか成長しない。せっかく恵まれた成長の好機を退けて、みずから囲いを狭めて孤立する者の老後は如何?!