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惠泉塾前史~一杯の水を与えよ

(ヨハネによる福音書4:1~15)

1.最もさげすまれた女

サマリヤ人は元来ユダヤ人でありながら、アッシリヤ帝国の政策によって異民族との雑婚を余儀なくされ、宗教的にも純粋性を失った為、ユダヤ人から軽蔑されていました。また、当時は男尊女卑の風潮があり、殊にラビと呼ばれる民の指導者は、女性の前では目を伏せ身を避けて道を迂回する習慣でしたから、女と口を交わすなど全く唾棄すべきことでした。そうした中で、主イエスはひとりのサマリヤ人の女にご自分から声をかけ、「私に水を飲ませてもらえまいか」と懇願なさったのです。

2.愛されることを求めて

この女はスカル町の中にある井戸を使わず、町外れを1キロほども歩かねばならないヤコブの古井戸に、カンカン照りの昼日中、誰もがひと仕事終えて昼寝している最中に、水を汲みに来ました。町の女たちが井戸端会議に花を咲かせる朝晩の水汲み時をわざわざ避けて、ひとり黙って水を汲む女の心には、満たされぬ思いがありました。

女は男に思いを寄せ、男の愛で心の穴を埋めようとしましたが、恋が冷めると見慣れた退屈な現実があるだけ。堪らず別の男に走って情熱を燃やせば、生き血を吸われて捨てられる。女は今度こそと身元を質して結婚して得た家庭生活の安らぎにも満足できず、不倫の恋におち、身を持ち崩し…、今は6人目の男と同棲しているのです。

男運が悪いと初めは同情していた世間も、呆れて陰口を囁き、冷たい視線を向け、遂にはあからさまに交わりを拒むようになります。女はますます惨めになっていきました。

3.心を満たすもの

イエスは旅に疲れていましたが、喉が渇いていのではありませんでした。ただ、この不幸な女を救いたくて、世間の批判を顧みず、声をかけたのです。

イエスはひたすら愛されたいと願い求めて来た女に、私に憐れみをかけてくれないか、と愛を求めました。世間の交わりを断たれて八方塞がりの女に、新たな交わりの道を開いて、心に本当の満足を与え得る“本物の命・神の愛”へと彼女を招き寄せたのです。

しかし、愛したことのない女には旅の男に一杯の冷たい水を与えるほどの愛さえ示せません。彼女はいつも自分の喉を潤すだけで精一杯。愛されたいと渇望している彼女は、男女の色恋に癒しを求め挫折して、解決の道を知りません。彼女にイエスが言われます、「私から神の命を受けて、人の喉を潤してごらん。お前の渇きは、もうなくなるよ。」