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惠泉塾前史~友を迎えて

7月21日(火)から27日(月)までの1週間、東京からY姉の独身時代の保母仲間が3人の幼児と長野のお母さんを伴って札幌の拙宅に遊びにみえた。主人が神と人に仕える為に伝道旅行をしている間、留守家庭を守る妻として何をすべきか、と考えて、心の病に苦しむ旧友を招いたわけだ。彼女は3人の幼児の母として主婦として頑張りながら保母の仕事を続けて来られたが、配置替えで職場が変わって、新しい人間関係にスムーズに適応しきれず、疲労困憊の末に病気になってしまったのだ、という。

迎えるY姉は初め、自分の優しさで彼女を包もうと考えた。彼女が喜んでくれるように彼女のペースに合わせて接待してあげよう、と心を砕いた。その為に、日曜の家庭礼拝はクリスチャンでない彼女を迎えている間は邪魔な存在に思えた。それで、旅に出る直前の私に、留守中の礼拝を中止していいか、と相談に来た。思いがけぬ話に私はショックを受けた。「君は自力であの難病に立ち向かうつもりか?自分の人間的優しさで癒し得ると思っているのか?人間的同情で人を救うことは出来ない。君は単なるヒューマニストかクリスチャンか?!」思わず荒々しい語気で私はYを叱り飛ばした。我が家の主人はキリストである。主人を無視した客の迎え方はあり得ない。我々の人生の導き手はキリストである。キリスト抜きに人生は語れない。そして全ての病気の癒し主はキリストである。我々は全てに於いて無力なのだ。

私の出立後、Yは共を迎える為の真剣な早朝祈祷を重ね、キリストを主人としたいつもの家庭生活の中に自然な形で友を迎え入れて、夢中で尽くすことができた、という。友の病は快方に向かい、溢れる感謝の便りをくださった。