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惠泉塾前史~思いやる心我慢する心

我が家の子供達にはテレビという遊び相手がない。まだ文字を知らない彼等は一人で本を読むことも知らないから、何をするにも両親や周囲の人間を相手にして遊ぶ。そこで生身の、作用し合える人間と接することでしか育てられない“思いやり”が自然に身につき、相手の為に“我慢する”ことも覚えるだろう、と私は思う。

ところが人々は「テレビが無いなんてかわいそう。きっと仲間はずれにされてしまう。」と言う。仲間はずれにする子は、面白くなければチャンネルを換え、スイッチを切って自分の目の前から自由に消すことを覚えたテレビっ子である。自分にとって面白くない存在や事態は目の前から消せばよい、と発想する。何とか折り合いをつけて、我慢して付き合い続け、時間をかけてより良い関係にしようと努力する、という発想はなかなか持たない。どちらが理想的な生き方かは誰でも知っている。でも、現実には幼児から老人に至るまでみんなテレビっ子のような生き方をしている。そこにテレビを相手にしたことのない“変わった子“が顔を出すと、人々は無防備な彼を傷つけ抹殺するかもしれない。その前に彼は本能的に我が身を守る為に美しい習慣をどぶの中に捨てるだろう。彼は社会に馴染むためにテレビっ子の生き方をまねるようになるだろう。

さて、学校は、社会一般の常識から大きくはずれない“生活感覚”を身につけさせよう、として服装頭髪や礼儀作法などの生活指導を試みる。ナウなテレビっ子には我慢ならない“生活感覚”だからチャンネルを換えて逃避し、スイッチを切って無視しようとするが現実は消せない。学校の一押しで子供は潰れる。