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惠泉塾前史~制度の変革より自己変革を

白氏文集の中に秦中吟として「重賦」という詩がある。もともと、国家と生民とは相互に支え合う関係にあって、皇帝の勅命によって規定以上の徴税を禁じていたのに、歳月がたつと、生民の負担軽減を策して始めた両税法も貪吏に悪用され、遂には夏秋のみかは、冬春まで税をしぼり取るようになった。生民は納める布帛(ふはく)が間に合わず、大地凍り霰雪(さんせつ)紛々たる冬空に幼子や老人の着ている物まで持っていかれる。官庫の中をのぞいて見ると、税で取りたてた絹織物が山と積まれ、正式の租税とは別に皇帝に献上されているようだが、天子の倉庫に納められても使われないまま歳月が過ぎて結局は塵となり、生民の血税は役人の“袖の下”に利用されるだけなのだ。そう、白居易は詩っている。

唐の時代に不当な重税に苦しむ人民の姿を見て、白居易は貪吏を批判したが、献上品で寵愛を買う悪習が一般化していた社会の体質も又責められるべきだろう。一皇帝の善政などというものも、社会の体質の前にはひとたまりもなく骨抜きにされる。善き制度も運用する役人のサジ加減で企図に反して悪しき役割を果たす。

私はここで二ツのことを考える。個人の首をすげかえてもなくならない社会全体の体質というものと、制度をかえても変わらない個人の生き方の体質というものを。相互扶助の社会制度を設けても私腹のみ肥やす人を縛れず、民主的な憲法を定めても封建的体質は変えられない。

一番やっかいなのは社会の制度の変革ではなく、個々人の“自己変革”である。