主イエスは現実の社会の問題に無関心ではなかった。彼に助けを求める声に導かれて足を運ぶと、そこは社会問題の吹き出し口だった。軽蔑され、差別され、不当に搾取されるままの「地の民」と呼ばれる人々をも、イエスは等しく神の救いの饗宴に招き入れようとした。神の愛はローマ兵にもギリシャ人にも祭司や律法学者やパリサイ人にも、そして小家畜飼育者や日雇労務者や売春婦や奴隷、身障者、病人にも等しく向けられているのだ。パリサイ人は律法を守らぬ不浄の民(実際は貧しすぎて守れなかったのだが)と同一視されることに堪えられず反発を示した。貴族祭司は地の民を搾取して私腹を肥やしていたから(彼らは大土地所有者兼大商人でもあった!!)地の民に食糧を給し、病気を癒し、差別を撤廃するイエスに脅威を感じて抹殺を企図した。律法学者は権威ある者の如く語るイエス、聖書が預言しているメシアの如くふるまうイエスに、「自分を何様だと思っているのだ?!」と怒りを禁じ得なかった。
特権的地位に胡坐(あぐら)をかいて貧しい同胞を苦しめる彼等を主イエスが責め、「神の前に悔い改めよ」と迫る時、彼は現体制そのものを批判していることになるのだ。彼等こそユダヤ社会の問題全般を処理する最高法院(サンヘドリン)を牛耳る構成メンバーであって、この不当な体制を生み出した元凶だったからである。
しかしイエスは人道主義(ヒューマニズム)で貧者の友となったのではなかった。社会正義で特権階級を責めたのではなかった。神のみむねを貫く、即ち神の律法を現実社会に完遂する、という立場で行動した。信仰と切り離して社会の問題を考えることをしなかった。全ての問題を父神と結び合わせることで解決した。ここに我々が社会の問題に向き合う時の模範がある。唯、神にのみ頼れ。