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文学・学び・授業が面白い!~ 余市惠泉塾で行われた水谷幹夫先生の授業 ~

 

ひと昔前は電車に乗ると乗客が文庫本のページをめくる姿を見かけた。近頃そんな光景はぐっと減り、皆がスマホに見入っている。YouTubeには目の眩むほどの量の動画や騒がしい音楽が溢れ、そこに落ち着いた静謐な時間はない。テレビの画面下には巨大なテロップが慌ただしく現れては消え、番組の合間には宣伝が大音量で流れている。心静めてひとり読書に親しむということが非日常になってしまった。まして文学をじっくり味わうとか、著者の思いを丁寧に受け取ろうと味読する機会はどれだけあるだろうか。

「塾生の集い」で水谷先生が有島武郎の「小さき者へ」の授業をしてくださると聞き、塾生と教育係スタッフは準備をした。「そもそも文学とはなにか?」ということを皆で考えた。人はなぜ文学を読むのか? この問いは新鮮であった。「高尚なもの」という意見が出た。それでは、田山花袋が書いた「蒲団」は高尚な内容なのか? 「格が上の文章」という意見も出た。それなら、芥川賞は格が上で直木賞は格が下なのか?

有島武郎は人妻と心中したそうだ。その作家の作品をどのような心構えで読めばよいのか? 作品と作者の実人生は別に考えるべきなのか? さまざまな思いが「塾生の集い」のメンバーに去来した。

授業の前には塾生による発表があるため、図書館に行って下調べもした。文学史上、有島武郎が属した「白樺派」とは何か。また有島武郎の生涯と彼の家族についても調べた。

そして迎えた授業当日、2021年9月11日(土)。作中には有島武郎の妻の出産シーンが出てくるのだが、そこは助産師の清野喜久美さんによる説明と映画「生命創造」の上映でイメージを膨らませることができた。その後、水谷先生による「小さき者へ」の読み解きに入る。

 

(先生談)有島は、子どもに対する妻の愛情を見たときにね、非常に純粋なもの、強いもの、輝くものを見た。そして、それが一番の価値だと発見したの。それが(起承転結の)承。転は「弱さが強み」。「妻が私(有島)よりももっと芸術家だ。私は感動を呼ぶ作品を書こうと思った。」そして文学の勉強もした。白樺派を組織してたくさんの小説を書いた。でも、妻の死に際に見せた愛の輝き。それが私に与えた感動。その方がずっと芸術なんだな。人の魂を揺さぶるのさ。弱い彼女が強い。小さな者が大きいという逆転をここで見たんだな。それはパウロの真理だよ。「己を捨てて、キリストに生きる」「私は弱いときに最も強い」と言ったパウロ。それは、弱いときに神が完全に働くからだ。彼は本当に自分が小さく弱く、安子のようになるとき、人の魂を打つ芸術をおのずから生み出す存在になる、作りものじゃない、ということに気がついたわけです。

 

水谷先生の「弱さが強み」という切り口は新しく、表面的な小説の読み方を全否定するものだった。有島武郎と婦人記者との心中事件にも触れた。私が気になっていた点である。これを水谷先生は「命がけの愛」と表現した。衝撃であった。人妻との心中は命がけの愛なのか。

 

(先生談)純粋な心が大事だ。愛という純粋な心。欲望による愛ではなく、子を思う親の愛とか、命をかけて異性を愛する愛だとか。まさに愛こそ芸術だ。そういう気づきを妻は自分の死を通して彼に残していった。その一方で、彼は命をかけた心中を果たし、幼い子どもたちに芸術家としての父を残していった。妻は命をかけて子どもを守った。彼は命をかけて子どもに命以上に大切な芸術の魅力を伝えようとしたのだろう。

 

自分一人で読んでいたときはそこまで深くは読めなかった。たった一回の深い授業で、自分の浅い読み方や凝り固まった固定観念が崩された。文学を読むとは、自分の古い考えが破られ、新しい思想が生まれ出づる営みなのだと知った。聖書もそのように読まなければならないのだろう。

 

今回の授業はTeams配信も行われ、心動かされた人が感想を寄せてくださった。

「自分は小説の読み方を知らない、と自覚しました。」

「白樺派(理想主義)は、確かに理想的な真、善、美を追求していると思った。対極

の自然主義から見ると、人間そんなにきれいごとではないと反論されるだろう。でも、聖書の真理を知る我々は、理想主義の中にも、自然主義の中にも、真理の一面があると思った。」

「事前に配布された、清野さんと清野さんのお母さまの記事もとても印象に残りました。助産師は、新しい命を生み出す妊婦に寄り添い、励まし、その喜びを共有する職業なのだと教えられました。清野さんの情熱は、ここからも来ているのかな、と思いました。」

「有島武郎はキリスト教を捨てるべきではなかった、という水谷先生の言葉が印象的だった。妻が死に際に見せた強い愛の輝きに降参した彼は、『これはお前たちのためだけの宝物だよ』と子どもたちに言う。大事なもの、命よりも大切なものがある、と自分も気づき、子どもたちにも伝えたかったのだと思う。恋愛でもない、友情でもない、永遠の愛を自分に見せてくれたのは、弱くて頼りなく幼く見えた妻だった。体験的に神の愛を知った有島は、だからキリスト教を捨てるべきではなかった、と私も思う。私には大学時代、一人の教授の授業に魅せられ、言葉の力に吸い寄せられるようにして命を甦らせていただいた体験がある。そのときの感動にも匹敵するくらい素晴らしかった。」

最後に、「塾生の集い」のリーダーの率直な感想を引用する。私も同感である。「文学・学び・授業が面白い!」

(余市惠泉塾 教育係  保坂晋平)