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第三世代の変化と成長~「神様が私にしてくださったこと」大舘恵三さんの証より~

 

 

私が丹波惠泉塾を卒塾し、余市惠泉塾に職業訓練生として招いていただいてからちょうど2年が経ちます。この間、神様はたくさんの愛と恵みを注いで下さり、生きづらかった自分の人生がどんどん明るくなっていきました。今日は、神様が与えて下さった「平安」「喜び」「希望」についてお証しさせていただきます。

 

1 神に委ねることで得られる「平安」

 

私は元来ひどく心配性で何かにつけて対策を講じておかないと落ち着かない性分でした。世俗社会で働いていた頃は、何か課題にぶつかるたびに熟睡できなくなり、心と体を病んでいきました。眠れないと余計不安になり、焦って良い仕事ができず、不安定な状態で生活してきました。もうこれ以上働けないというところまで追い詰められて初めて、余市へ行くことを決意したような者です。

余市惠泉塾で塾生をさせてもらって改めて、愛も信仰もない自分を突き付けられ、打ちのめされてさらに深い鬱に落ち込んでいきました。しかし、この「塾生」と「どん底」を経験したことが、鬱から抜け出す大きなキッカケとなり、恵みであったと今は思っています。

手足の震えが止まらず、何の作業もできなくなり、「こんな状態から果たして立ち直ることができるのか」と、絶望的な気持ちになりながら2018年12月、丹波惠泉塾へと向かいました。ところが、丹波で塾生生活を送るうちに、あれよあれよ、という間に元気を取り戻し、半年後には卒塾して再び余市惠泉塾に帰ってくることができたのです。

この、あれよあれよ、という間に回復したことで、神様が働いておられることをありありと感じ、余市での訓練も前向きに始めることができました。鬱で苦しんでいた頃には見えなかったたくさんの恵み、ここに生けるまことの神が働かれていることが少しずつ見えてきて、日々変化していき、生活、働き方、思考回路が改善されていきました。今までとは違う源からエネルギーを供給する生き方があるということ、またその源にやっと繋がり始めたことが分かってきました。

そんな中、神様に対する信頼が深まり、悩みのタネだった不眠症も「6時間は寝なくては」というこだわりが取れ、平安のうちに「眠れなくても大丈夫」と思えるようになりました。問題があっても「神様に委ねれば絶対何とかして下さる」と安心し、祈って取り組むと意外な助けが与えられたり、お金がなくても信じて待っていると実際に与えられたり、支払う必要すらなくなったこともありました。

 

2 神が共におられる生活の「喜び」

 

「今日も一日、この生活を楽しむことができますように。」ある日の朝礼で、水谷先生がこう祈っておられました。私はつい、「訓練現場で楽しめるのかな」と思ってしまいましたが、実際、塾での生活はたいへん充実した楽しいもので、苦しいときでさえ充実感や喜びはなくなりませんでした。

この充実感はどこから来ているのか。考えるまでもなく、「朝の学び」と「愛し合う食卓」が思い浮びます。朝の聖書の学びはいつも新鮮な発見に満ちています。水谷先生の御言葉の説き明かしからハッとさせられ、一気に頭がクリアになり、魂に熱いものが流れ込んでくるのを感じます。元来マイナス思考で落ち込みやすい私ですが、学びを通して前向きになれる、というより前向きにさせられてしまい、がむしゃらに教えられたことを即実践する日々です。先生との問答では、的外れな言動をしてしまったり、観念的なものの考え方が強かったりしてよく厳しいご指摘を受けますが、そういうときこそしっかり課題と向き合うチャンスになっています。

「愛し合う食卓」では、そんな一人の問題も、また喜びもみんなで分かち合っています。アドバイスをいただいたり、喜びを共にしたり、とリラックスして一日を終えることができます。「こんな食卓が昔からあったら、自分も病まなかっただろうに…」と思いつつ、このように聖書を体当たりで学ぶ場を与えられ、愛し合う家族の中におらせていただける幸いに感謝しています。

 

3 神の御思いに生きる「希望」

 

余市での再訓練が1年半を過ぎた頃、私は世俗に戻りたいという思いに捕らえられ、訓練に取り組む意欲を失ってしまっていました。朝の学びでもその心の闇が照らし出され、本音を言わせられてしまうことが辛かったです。しかし、「もう何を言われてもいいや」という思いで本音を吐露すると、意外にも水谷先生が「その意見はみんなの代弁をしてくれているね」と受け止めて下さったこともありました。

また、「もう君、世俗に戻ったら?」と先生から言われることもありましたが、「命がなくて倒れてしまうことは分かっていますから…」とキッパリいうこともできず、引っかかるものがあって、前にも後ろにも進めない、というもどかしい日が続きました。

そんなある日、惠泉ノア製作所で一緒に働いている上司の白石満さんから、「大舘君は何で、ノアで働き始めたんだっけ?」と突然聞かれました。「もともと製造業をやっていたんで、一番合っているかなと思って」と答えると、「前はどんな仕事をしていたんだっけ?」と聞かれ、いろいろと話す中で過去のことを思い出しました。

「以前は、工場の中で機械の一部のように働かされていました。まるでロボットのように、右から来たものを左へ受け流すような単調な作業を、一日中繰り返していたんです。でも、ノアでは毎日違う作業をして、どんどん完成に近づいていくのがわかるので、やっていて充実感があります。」自然とそんな言葉が口を突いて出てきました。

機械で加工する部分もありますが、ここでは手作業が多く、形を整えていく難しさや時間がかかる大変さがあります。でも、ごつごつした原木がきれいな曲線と滑らかな肌触りを持つ木工品に仕上がっていくのを見るのが好きで、とてもやりがいがありました。そして何より、ノアは〝愛と信仰で働く″現場です。所長であり社長である木下肇さんからは、働く姿勢から観念信仰を見透かされ、厳しく指摘されることがあります。しかし、こうして仕事を通して信仰と生き方に及ぶ教育を受けさせていただける現場は、世俗にはないと思います。

また、悩んでいるとき、よく相談に乗ってくださるのが上司の小野方太郎さんです。しっかり受け止めて簡潔にアドバイスしてくれます。このような人間関係も世俗にはなかったのを思い出し、まじまじと自分が幸せな現場に置かれていることを認識しました。

苦しいことはその後もいっぱいありましたが、あるとき、「これも全部引き受けていこう」と思い定めることができました。すると、そのときから徐々に世俗への思いが色褪せていって、しまいには、世俗の何に魅力を感じていたのか分からなくなってしまいました。愛し合う生活共同体の魅力に目が開かれ始め、希望が生まれています。

 

まだまだ観念信仰突破の課題はありますが、神様に目を、耳を、心を開いていただけるよう祈り求める日々です。そして、余市惠泉塾に生きて働くまことの神様をしっかりと体験的に知っていきたいです。

 (2021年6月27日 余市教会主日礼拝での証言より)