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老人の旅支度の難しさ ~ 余市惠泉塾での水谷幹夫先生の朝礼講話より ~

 

今朝の話題は「老人の旅支度の難しさ」です。「旅支度」のポイントは三つあります。

 

一つは、「飛ぶ鳥、跡を濁さず」ということです。後始末をしていくっていうこと、例えば、借金をきちんと返済するとか、後に残る人が困らないようにすることです。預金通帳がどこにあるかとか、印鑑がどこにあるかとか、保険証がどこにあるかとか、そういうことが分からないと困ります。亡くなって死亡通知を出すとね、銀行が閉まります。するとその人の預金が出せなくなるんです。

私の父が死んだときは母が全部やったので私は何も関知しませんでしたが、母が亡くなるときは母がハンコと通帳を出してきて、これだけの預金がある、保険証はこれ、と全部出し「後は頼む」と言いました。それで銀行が閉まる前に預金を下ろし、後始末に使わせてもらったんです。

十河(そごう)一(はじめ)という私の大先輩は亡くなるとき、枕元にノート一冊置いていったそうです。その家の奥さんは外で働いた経験もなく、京都の「深窓の奥方」という人だったんです。それを心配した先輩はノートを残していった。そこには、死んだとき何をするか、1、2、3、4、5、と全部細かに書いてある。そして、それに必要なものはここに、と全部書いて一冊のノートにしたんです。「それがあったのでとても助かりました」と奥さんが言っていました。それが、「飛ぶ鳥、跡を濁さず」ということです。

召団員のHさんのご両親が亡くなったときは、跡が濁っていたんです。もう、家一軒ゴミ屋敷、ダイヤモンドとかそういうものもあるけれど、着物もある、だけど使えないものもいっぱいありました。それでHさんは片づけるのに6ヵ月間、何もしないでそれに専念したのですが、終わりませんでした。ご両親は飛ぶ気がなかったんですね。でも、亡くなったのは90代です。90代まで何もしなかったわけです。まあ、小池辰雄先生もそうです。90過ぎまで生きておられましたが、何もしていなかったので遺族は大変でした。

「飛ぶ鳥、跡を濁さず」は大切です。使えるものはどんどん人にあげ、いらないものはどんどん捨てる。捨てるったって今はお金かかりますけど…。部屋も片付ける。洋服を人にあげたり処分したり、着物なんかビューソーイングにあげたりできます。そうやってきれいにしておくと後に残された人が楽でしょ? そんなふうにすること、「飛ぶ鳥、跡を濁さず」が旅支度の一つです。

 

二つ目は「置き土産」。跡を濁さないだけじゃだめです。お土産を置いていかないと。子どもたちに遺産を、という人もいますが遺産は争いの元です。それより、生前遺産分与の方がいい。そうではなく、いい死に方をした、教えられることが多かった、というようなその人の生きざま、それが置き土産です。自分の生き方を子どもたちに示さないといけません。「醜い死に方だったよねえ」と、後々まで子どもたちに述べ伝えられるようでは…。そういうのはマイナスの置き土産です。では、どういう置き土産が神様に喜ばれるのでしょうか。

内村鑑三は「後世への最大遺物」といって、最高の遺し物はその人の生きざま、「勇ましい高尚な生涯」である、と言いました。ボケてしまうと、もうそんなこと言っていられません。意識がはっきりいるうちに勇ましい高尚な生涯を残していくという、そういう思いで一日一日を生きていくことが求められているのです。

 

三つ目が「手土産」。手土産はこれから神の国に持っていくもの、天のお父様に捧げるものです。手土産とは何でしょう?「天に宝を積む」ことです。では天に宝を積むって何でしょうか? 隣人愛です。捨て身の愛、十字架の愛、隣人愛の実践、それこそが天に宝を積むことです。今、持っている地上の宝を天の宝に切り替え、それを天国に送り込むのです。

皆さん、旅行するとき大きなバッグを2つも3つも持っていかないでしょ? それはもう先に送っておくでしょ? 最初に行き先に送っておいて、自分は手荷物一つで行くというのが旅行には便利です。天国への手土産も同じです。先に送っておくんです。天国ゆうパック、天国小包、大包みでもいいのですが、とにかく先に送っておかなければなりません。いいですね。それは捨て身の隣人愛ですよ。いささかの隣人愛では、神様にとって何の喜びにもなりません。命がけで相手に尽くす、それがどれだけできたか? それが手土産になります。

 

「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「置き土産」「手土産」、この三つを用意しないまま老人になった方々は大変です。すごく焦るのです。その上老人になると難しいことが三点あります。

 

その第一点目、ボケると、責任ある言動ができなくなります。わがまま、身勝手な発言、無遠慮、無配慮な行動、こういうことが平気でできてしまうんです。意識がはっきりしているころはなかったんです。ボケると、起こるんですね。

 

第二点目、未来に希望が持てず、不安と恐怖に圧倒されてしまうのです。ちょっと頭がボケてきた、記憶があいまいになった、体が不自由になった、手が動かない、足が動かない、そうすると不安が来ます。何でも自分でできたのにできなくなるのですから。どうなるんだろう? 明日が来るだろうか? そんな不安が人を圧倒してしまいます、もし、神がいなければ。そのとき、信仰がものを言うのです。それが観念信仰だと、もう全然、杖にも支えにならないのです。

 

第三点目、老化の現象が受け入れられず、無駄にあらがうとか、激しくリハビリするとか、無理なトレーニングをするとかして、かえって骨折したり、体をそこねたりします。こういうことが起きる。誰にでも起きるのです。これは避けられません。ですから、そうなる前に三つのポイント「飛ぶ鳥、跡を濁さず」、「置き土産」、「手土産」を心がけて暮らすことです。

 

若い皆さん、この話を、しばら~く後のことだと思わないでください。初老期痴呆症っていうのもあるし、いきなり若くして死ぬということもあります。明日は我が身と思って今日一日、この三つを頭から離さないようにして、ね、一日一日大切に送ることをお勧めします。

 

私はもう老人になりました。「飛ぶ鳥、跡を濁さず」ということだけが残っております。「手土産」も「置き土産」もだいたいできています。これから身辺整理をいたします。洋服を全部整理するとか、手紙類は燃しましたが、あと本ですね。本をどう処理するか、考えています。皆さんに使っていただけるものは残していきたいので、図書館を作ってそこに置いて、いつでも皆さんがそれを楽しめるようにしたいと思います。

ですから、残された者が困るというようなものはあまりありません。財産は皆、召団、惠泉塾、ヴィタポートに差し上げており、そういうものはもうありませんので、皆さんより身辺整理は楽だと思っています。けれども終わってはおりません。これからはそのために時間がほしいと思います。ですから、早く皆さんの前から姿を消したいと思います。でも、まだ愛し合う共同体ができ上がっていませんので、もう少し皆さんのお世話をさせていただいてから消えようと思っております。

お互い一日一日、大切な時間ですね。無駄な時間を使わないよう、今日も精いっぱい頑張りましょう。では、ラジオ体操をしましょう。