(ヨブ記第14章)
善人であろうと悪人であろうと、人は皆、その生涯は短く、不安に満ちていてもろい。神はそんなちっぽけな存在さえ見逃さず裁きの的にされるのだから、たまらない。切られても芽を出す植物の方が人間よりずっと希望がある。人間は命尽きたらおしまいだ。
ヨブの現実認識は暗く、希望がない。善人であろう、と精一杯努めたあげく天災に見舞われ、不幸のドン底に突き落とされて、因果応報が信じられなくなったのだ。
人間は元来不浄だとすれば、神が期待なさるような潔い姿になることは到底不可能だ。
もし、この世を去ってもまだ生きる、とういことでもあるのなら、希望がある。もしそうなら、神の期待にそえなかった分の罪のつぐないの期間じっと忍耐して、あなたがあらためて呼んで下さる時、喜んで神のみ前に馳せ参じます。その時は私の罪を見のがして下さいますネ。
遂にヨブは自分の義にたのまず、神のあわれみにすがった。ここに信仰がある。