(ヨブ記第10章)
ヨブは率直に神に祈った。きれい事でなく、思ったままを赤裸に述べた。「いつくしみをもって丹精こめて創造して下さったこの私を今になって砕いて塵に戻そうとなさるのですか?!」ヨブは神の愛にゆさぶりをかけた。
しかし、神の応答が聞こえない。「私があなたを造ったのだ。あなたは私のものだ。私はあなたを忘れない。」(イザヤ43:1~7、44:21~22)という神の愛に満ちた声がヨブの耳に届かない。ここにヨブの悲劇がある。ヨブは神の愛に不信を抱き、邪推するに至った。「神よ、あなたが私を養い育てなさったのは、獅子狩りに供するたまにライオンを飼うのと同じだったのですね。私を射殺するゲームの楽しさを味わおうと、その日まで私を生かして来られたのですね。不当な苦しみの中で私はやっとそのことに気づきましたヨ。」
神は愛である。どこまでも神は愛である。黒雲の奥に太陽が隠れることがあっても太陽はやはり生物の命の源であり続ける如く、神は愛である。