2019年12月、余市惠泉塾の閉塾後、私は丹波、大阪、都賀、四街道へ旅行させていただきました。今回の旅で得た三つの収穫についてお分かちします。
一つ目は、罪の赦しを知ったことです。2009年2月、入院中の精神病院から外泊というかたちで「丹波の宿 恵泉」に行ったのが、私と惠泉塾との出会いでした。鬱病からくる過度の緊張と不安で、大阪から丹波に移動する車内は、地獄行きの電車に乗っているような気持ちでした。宿にも一泊しましたが、同じように辛くて苦しい思い出しか残っていません。それが10年経った今、あれほど辛かった丹波に向かう電車の中も、あれほど辛かった宿で過ごす時間も、同じ空間であるにも関わらず、明るく楽しく、希望に満ち溢れた場所になっていたのです。
丹波から千葉に向かう道中でも同じ体験をしました。30代半ばで心の病に陥った私は、現場監督の立場にありながら工事現場に出ることが怖くなり、職場で何の役にもたたない不必要な社員になりました。それでも叔父が社長だからクビにならないのだと陰口をたたかれた辛い数年間を過ごしました。15年前、意を決して退職を願い出ましたが、会社は了解してくれません。その頃、東京都三宅島の災害復旧工事があり、誰も行きたがらないそこへ私が責任者として赴任し、無事やり遂げたら辞めてもいいと言われました。
心の病と闘っていた私にとって、健康な人でも嫌がる三宅島の工事の仕事などできるわけがないと思いましたが、退職するためには行くしかないと勇気を振り絞り、悲壮な覚悟で出発しました。三宅島に向かう新幹線の車中では、先の丹波へ向かう電車の中と同様、不安と恐怖に苛まれ、地獄に向かう列車に揺られているようで絶望的な思いがしました。しかし今回、久しぶりに同じ区間を新幹線で移動したのですが、信じられないくらいウキウキワクワクする楽しい時間だったのです。
10年前、15年前と同じ行動をしているにもかかわらず、天と地ほども違うのです。私はそのとき、神様が私の罪を赦してくださり、私の魂を悪魔の支配下から取り戻してくださったことを確信しました。絶大なる神様の愛の御業に心から感謝します。
二つ目は、神様のために働きたいと願う私が用いられる場所は、惠泉塾に関係するところだ、と痛感させられたことです。神の憐れみにより全く新しい人生に歩むようにつくり変えられた私ですが、丹波、都賀、四街道などで信仰の仲間たちと交わり、10年間の証を分かち合うとき、神様の道具として用いられている喜びをひしひしと感じます。
一方、45年過ごした大阪では幼なじみの男性と彼の希望で再開しました。彼は55歳の働き盛りですが証券会社の厳しい仕事環境の中、パニック障害になって会社に行けなくなりました。私は彼のために何か良い方法はないかといろいろ提案し、話を進めようとしましたが、結局のところ、彼は現状のままが良いと思っていることが分かりました。
今のままで良いと思っている人に対しては、何もすることができない自分を知ると同時に、神様が私に与えてくださっている賜物は、惠泉塾という持ち場の中でこそ生かされ、十分力を発揮できるのではないかと気づかされたのです。
三つ目は、神様が共にいてくださり、長年分裂していた従兄弟との関係を和解の方向へと大きく前進させてくださったことです。一緒に食事をしながらだんだん壁が崩れていくような感じになり、今まで聞きたくても聞けなかったことが本音で話せるような不思議な2時間半を過ごしました。店を出て別れるとき、従兄弟が私を送って行くと言い出したことにも驚きましたが、別れ際、これからは何かあったら連絡してくれと言われ、笑顔で別れることができたのです。
まさか、こんな和解のひとときになろうとは…。神様は実に不思議なことをなさいます。惠泉塾で神様の仕事をさせていただいている私にとって、心のどこかでいつも引っかかっていた大阪時代の古き我のしがらみ…。今回の旅で、一番意外で一番感動的な神様の御業は、この和解の恵みだったかもしれません。主の御名を褒めたたえます。
(2019.12.28)