札幌キリスト召団の歴史にとっては“激動”の2013年が去り、新しい年のページがめくられました。200
8年の夏期福音特別集会で宣言されてから5年後、約束の引退を果たされた水谷惠信先生は、水谷幹夫先生となり、本人の曰く、神に出会った20歳のとき以前に戻った(?!)ということになるそうです。 「水谷先生」と誰からも呼ばれるように、教師として卓越した資質才能に恵まれた人物であることを自他共に認める先生が、先日の「小池辰雄を読む会in余市」で語られたところによると、「教えること」は霊の賜物ではないそうです。それは生来与えられていたものであり、親からもらった賜物を磨いて得た教育力とは別に、祈り求めて聖霊によって得られた賜物がある、と。そして、それが「聖書を語ること」であったのです。 霊的な賜物は、聖霊が与えられなければ得られませんが、これは聖書の約束であり、先生も、結婚を機に神に召しだされたとき、切実に祈り求めた結果、神の恵みとして、それで奉仕することができるようにと、賜物が与えられたそうです。聖霊が来られたら賜物を携えて来てくださるのだから、熱心に求めるべきは聖霊である、と読む会で語られました。また、種々の賜物の中で最も謙遜にして最大の賜物は愛である、とも強調されました。 水谷先生に与えられた「聖書を語る」という聖霊の賜物によって始まったこの召団の働きは、惠泉塾を生み、ヴィタポートを生み出しました。召団の特徴として、①個人の魂の救い、個人の敬虔を追い求めることと同時に、②キリストの御体を建て上げるため、各パートを受け持つ個人個人の互いに愛し合う共同体づくりを重視していることが挙げられます。聖霊の望むことは、本当に小さな者が集まって、まとまって、一つの生命体を創っていくことにあり、惠泉塾活動はその期待に大きく応え得る活動でもあります。招かれた私たち一人ひとりがもっともっと投げ出せば、聖霊にがっちり捕らえられ、この群れに堅固な土台を築く聖霊の賜物を豊かに与えられるだろう、と仰ってくださいました。貧しい、投げ出された魂を用いて神は働き給います。聖霊が私たちを新しく造り直してくださいます。今年も豊かな聖書の学びに養われて、この信仰の深みに分け入って行けますように。