「30年前の自分の文章を読んで驚きを禁じ得ない。まるで30年後の現実をあらかじめ見据えて書いているか
のように感じられるからである。書いた直後は何でもない文章に思われただろうが、今の札幌キリスト召団と惠泉塾の発展ぶりを見て、もう一度この文章を読んだら、誰だって驚くに違いない。これは気迫に満ちた預言の山だと言うほかはない。札幌キリスト召団は神様の予定の通りに発展した。惠泉塾も神様の計画に即して育てられ、大きく翼を広げた。その上、株式会社ヴィタポートが生まれ、実績を上げつつある。」 これは、今年2月に発行予定の文泉新書『聖書の神に教えられたこと』第二幕「教会」の前書きに書かれた水谷先生の文章である。札幌キリスト召団は1982年、小池辰雄先生の宣言により設立されたが、「召団」とは小池先生が1968年、使徒的信仰を標榜する東京、小諸、京都の3つのグループを召されしもの(エクレシア)という意味の「召団」と名付けたことに端を発する。同年1968年、大学浪人中の水谷先生が京都で主の御声を聞いている。以来、聖書の神に従う決心をし、翌年、聖霊体験を経て日本キリスト召団に所属した。奇しくも、召団が発足したその年に、水谷先生は生けるまことの神に出会ったのである。 1985年の「エン・クリスト」24号には、「日本キリスト召団の歴史的使命」について、次のような小池先生の記載がある。 「かくて今は、南は鹿児島から北は北海道まで、11の召団が散在することになった。『エン・クリスト』という機関紙が11召団協同の伝道誌となっている。日本キリスト召団は、宗教団体としては小さなものである。(中略)私の『無の神学』はキリスト教界に無視されている。謂わば『棄てられたる石』である。この石の叫びに共鳴する人がいない。結構である。旧約の預言者たち、新約の使徒たちが天界から聖書の言を以って共鳴の響きを霊送してくれている。(中略)兄弟姉妹よ、各召団はそれぞれの特質特色を以って主の栄光を現す身証体であっていただきたい。決して全体主義ではない。(中略)11召団はキリストという指揮者によって天的な交響曲を奏でる。多言は要らない。この福音を身証することあるのみ。(中略)曙の11の星のような小さな日本キリスト召団ではあるが、以上の簡単な叙述の中に、キリスト教史における我らの歴史的使命が秘められてある。」 この日本キリスト召団が歴史からその名を消したのは1993年2月7日。その折のことを水谷先生は「聖翼の蔭」第3巻第2号(1993年3月発行)で次のように述べている。 「札幌キリスト召団は全国との絆がなくなり、我々は単立の群れになった。これは召団を興された当の小池辰雄先生の判断によるもので、我々のあずかり知らぬところでことが運ばれた結果による。私はこうした事態を歓迎しない。私は全国の召団は今まで以上に影響し合い、切磋琢磨すべきだと思っていた。」 さて、今年は、水谷先生20歳のときにご自身を顕された神が、札幌キリスト召団と共に歩まれて50年になるという節目の年である。そして、今年の夏期福音特別集会のテーマは「神と共に歩む50年」。小池先生の言われる「全体主義ではない、組織ならざる組織運営」、「垣根のない幕屋召団の展開」を目指して、「札幌キリスト召団」から「日本キリスト召団」へ、名称変更の手続きを始めることが決まった。