昨年11月より始まった小さな惠泉塾、「元祖惠泉塾」の試みは、今年もいよいよその真価を発揮するために、
続行されることとなった。 みんなでつくりあげていく食卓の喜び、みんなで分かち合って食べる楽しさ。神はそんなふうに人間を造っている。神を愛せよ、ではない。すでに神は愛している。その神の精一杯の心づくしを受け取ること、それが神を愛し、神の心を知ることだ。神の恵みを利用せず、私せず、隣人の必要を補い、愛し合うために用いること。何のために生きるのか、何を目指して生きるのかも、この一点にかかっている。人生のテーマは「愛すること」と定まれば、もう人生は謎ではなくなる。神を信頼する単純な信仰こそ輝かしい。 本気で信頼していくとき、実際に砂漠にサフランが咲くという現実を見た。惠泉塾という愛し合う共同体が生まれた。聖書の真理を信じたら、真理を生きたら、こういうものが生まれた、嘘ではなかった。こういう不思議を、生きているうちに見せてもらって幸せだ、と水谷幹夫先生は仰る。 弱い者が一致団結して戦うとき、神は味方してくださる。どんなに弱く愚かでも、枯れ木のようであっても、神は命を投じることができる。愛し合う空気がどんなに素晴らしいか。社会に打って出て一般企業と肩を並べて戦って、ノンクリスチャンにも喜ばれる職場ヴィタポートを生み出した惠泉塾にあるこの空気。それを守り抜くための「元祖惠泉塾」ではないか。 最大の社会貢献は、倒れていた者が立ち上がり、絶望していた者が希望を見いだし、死んでいたような者がよみがえる、まさに惠泉塾で営まれているような人間回復の仕事だ。目的は「楽しく暮らす」ことではない。「人を変える」ことにある。小さな惠泉塾は、ものすごいスピードで確実に人を変えていく。水谷先生が始められた最初の惠泉塾はいつもこんな感じだったという。この変化は何か? ぜひ、新しい1年も、命がけでこの“教育力”と“感化力”の秘密を探り続けたい。