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11月 人生の波止場「惠泉塾」に寄港する人々 ~最近の余市惠泉塾「宿帳」より~

この度、私は1週間の惠泉塾体験をしましたが、その目的として、入塾願書に「惠泉塾の生活を通して、娘と妻に生起したことを知る!」と記しました。

2022年9月9日、金沢独立キリスト教会での娘の証言(惠泉塾での具体的生活体験内容)は、多くの方々に大きな驚きをもって迎えられました(ユーチューブで配信)。このようなことがどうして起き得るのか、それを可能にした生活環境、生活実態をこの目で確認したいというのが体験入塾の直接の動機でした。また、似非宗教を唱える反社会的カルト団体が注目を集め、社会から宗教界に厳しい目が注がれている時世でもあります。

体験を通してまず感じたのは、早朝からの真剣な聖書の学びの姿勢でした。ノンクリスチャンの私でもよく分かり、新しい発見も多々ある、というものでした。また少人数での共同生活には心身にハンディを負う方もおられますが、構成員全体で日々の生活を推し進めるというポリシーがはっきり見られ、お互いに補い合う中での充実感のある生活があり、これこそ重要なのだということが感じられました。

さらに、余市の自然の中での作業は、自分に素直に向き合うには最良の在り方だ、と納得しました。何かに、誰かに、忖度する必要もありません。ヤギの糞集めの作業は、自分を見つめるにはこれ以上ないものでした!

信仰を深めるということを中心に、生活全体がつくり上げられていることを実感しました。それは20数年の試行錯誤の上につくり上げられた生活スタイルなのだ、とリーダーが話されていたことが胸を打ちました。

何が娘の中に変化を起こしたのか、という最初の問いに戻ります。入塾期間中に、年1回のスポーツ大会があり、その機会に巡り合って参加することができました。その中で、役割分担だったのでしょう、フォークダンスの謂れをしっかり説明する娘がいました。説明を終えると拍手までもらっていました。また、楽しそうにハツラツとした動きを見せる姿もありました。惠泉塾の皆さんに愛される中で、目いっぱい生きている姿でもありました。

問いの答えは、信仰の上に築かれた愛のある生活共同体の中で変化し、癒され、活かされてきたということだ、と確信できました。短い期間ではありましたが、私自身も大いに学ぶことができた1週間でした。本当にありがとうございました。

永山敬三(2022年10月4日~11日)

 

娘の入塾と共に金沢から余市に来ました。まだ雪が残っており、春を感じる頃の余市でした。4年前にも一度体験しているのでどんなところか少しは分かっているつもりでしたが、最初の農作業、特に鍬での畝づくりはきつく、痛めている腰には辛かったです。しかし、神様に祈っていくうちに、次第に畑作業も楽しくできていく自分がいました。その頃一緒に来た娘の体調が悪く、黙してする作業は私にとって気を遣わなくてもよい時間となりありがたかったです。

5月31日、娘の症状は最悪のものとなり、木下先生の受診の勧めもあって病院に同行しましたが、この日のことは忘れられないものとなりました。覚悟して入院準備をして行ったのですが、直前に水谷先生から「生活の部屋替えと、仕事を、やりたかったお年寄りのお世話に変える」という提案があり、それが娘の目が変わった瞬間でした。娘は立ち直りました。しかし、最初は良かったのですが、また崩れていく負の連鎖を見守り続けながら、私は祈ることしかできません。そんな中、皆さんが娘のいろいろな情報を教えて下さり、「あぁ、みんなで見守って下さっているんだな」と実感しました。

朝の聖書の学びでは、愛し合う空気の中でこそ神様が働かれるのだということや、聖書の価値観で生きることが幸いの源だという知恵を学び、これからの人生の指針をいただきました。

その後、夫が病気になり、いったん金沢の家に帰った私でしたが、今度は夫と共に余市に来ることになりました。夫はノンクリスチャンで耳が遠く、不安材料は一杯ありました。それでも娘のために行きたい、行かなければ、という思いは一致しており、申し込みをし、快く受け入れていただきました。夫と一緒に朝のデボーションに参加することは私にとって喜びでした。地元での受け皿づくりという意味もありますが、これからの私たちの関係にも良い影響があると思ったからです。

夫は郷に入っては郷に従え、のことわざ通り、皆と一緒にご飯を作り、掃除、作業に参加し、一つ一つを教えてもらっていました。途中、耳が聞こえないことで私がハラハラする場面もありましたが、さりげなく教えていただいて、皆さんの優しさに感謝しました。最期の日はスポーツ大会でした。いつも以上に元気で楽しい時間となり、娘が皆さんに受け入れられ、愛されていることがよく分かって本当に良かったです。たくさんお世話になり、ありがとうございました。

永山礼子(2022年4月20日~10月11日)

 

私が選択の余地もないまま、妻の泉住美さんに、姫路から余市惠泉塾に連れて来られたのは2021年4月のことでした。余市ではヴィレッジの綾さん宅に同居させていただき、食事作りは小林さん夫妻にサポートしていただきました。そこでは、食卓でのルールや掃除のやり方などを教わりました。姫路での生活同様、ここでも多くの方たちに迷惑をかけるだけの状態でしたが、皆さんが助けて下さり励まして下さったこと、感謝にたえません。日常生活では、何をするにも泉住美さんに「おんぶに抱っこ」状態で、申し訳ない気持ちで一杯でした。

10月の末からは食欲もなくなり、水ものどを通らなくなり、半年近くも入院生活を送りました。今年の5月に余市に戻ることができ、プレ惠泉塾で生活させていただくことになりました。果たして再度ここでやっていけるのか?と大きな不安はあったのですが、塾作業ではいろいろと配慮をしていただきました。

しかし、決定的だったのは、水谷先生の朝の聖書の学びを通して、このような者にも、未完成ながら信仰の眼が開かれ始めたようで、生きることにも張り合いが与えられたことです。今、私がここでこうして話していることそれ自体、神が生きて働いておられることの証しです。まさに神業だと思います。

塾作業では畑でニンジンを収穫し、土を落とし、手分けして調理し、食卓で無農薬の味を楽しむ。まさに、ニンジン愛です。動物飼育では井上誠さんと二人で勝手に「ご隠居クラブ」を結成し、時々「かけことば」を楽しんでおりましたが、先日うれしいことがありました。

私がヤギ飼育で「メーメー愛し合いながら作業しましょう」と言うと、誠さんは「ニワトリ飼育はトリこぼしのないように」。私たち二人のやりとりを更衣室で聞いていた、普段は無口でおとなしい塾生のK君が、ニコニコ笑いながら「ボクも弟子になりたい」と言ってくれました。K君は「ボクが後継者になります」と言いましたが、これは後継者の「ケイシャ」がニワトリ小屋の「鶏舎」とかけことばになっています。その彼が「達也さんと会えなくなると寂しくなります」と言ってくれました。北面での「洋ナシ」の収穫では「お前なんか、用無しだ!」と言われないよう無心を心がけました。

その後、9月からオリーブの家に引っ越しましたが、そこでの食卓で、私の真似をしてか伊藤泰輔さんや山守謙さん、時には伊藤喜代江さんまでもが「オヤジギャグ」を口にするようになったのには少々困りもの。蛇足ですが、私のはあくまで「かけことば」であって「オヤジギャグ」ではありません。あしからず。

これからまず、私は泉住美さんの付属品として古河に派遣されていくつもりです。オリーブの家で一緒に生活している塾生のMさんが、「私の理想とする夫婦は達也さんと泉住美さんです」と言ってくれました。彼女の抱く「幻想?」が壊れてしまわないうちに、主にあって一致できる夫婦を目指したいと思います。

また、最後の晩の食卓で、現状に生きづらさを覚えている塾生のMさんへの、派遣前の私からの一言。「生意気なようですが、神を知る、神を信じる、ということは『もう何があっても大丈夫!』という大きな太鼓判を『バーン!』と押してもらっているのだから、安心して下さい」「神は必要としていない人なんか、絶対に造りません」「神がMさんを見つけて下さったのです」というような話をさせていただきました。

これは、同時に私自身へのエールでもあります。神に感謝できるとは何とうれしいことでしょう。こんなことを話していて矛盾するようですが、私には、もし涙を流して報われるならどれだけでも泣きたい苦しみや悲しみが、今でもいくつもくすぶっています。そういう患難から本当に解放されるには、神による解決しかない!と考えることができるようになりたいと思います。

最後に、これからも水谷先生はもちろん、木下先生、舟山亮さんをはじめ、

皆さんにいろいろな形で支えていただくことと思いますが、どうぞよろしくお願いします。皆さん本当にありがとうございました。

小崎達也(2021年4月1日~2022年10月5日)