閉塾を12月1日に控え、余市豊丘での惠泉塾生活も残り1ヶ月となりました。世にまれなる信仰生活共同体
に招かれて8ヶ月、聖書と向き合い、神と向き合い、自分自身と向き合って求道する塾生と、私たちは生活を共にさせていただく恵みにあずかっています。 ここは、生活が治療であり、教育であるとの聖書の価値観に立った人生道場です。「たくさん知識を積んでも神様に出会うためには役に立たないようである。さて、見たことも聞いたこともないこの方の前に立たされて、壁に向かってものを言っているようだが、果たして聴いてくださっているのだろうか?」そんな疑念を振り払うように、早朝の学びと祈りの時間、毎朝のように、生けるまことの神への真摯な叫びかかりが響きます。生まれ変わりたい、造りかえられて愛する者になりたい、と。「助けてください、もう駄目です、信じる心もありません。憐れんでください!」 祈りは確かに聴き届けられていると、水谷先生は仰います。ここに生きておられる神は聴いておられ、一番チャンスだと思われるときに、神の側からつかみかかってくださるよ、と。神の出来事は向こうからやって来る、これが創造の秩序であるなら、私たちに求められているのは、静かに待ち望む“忍耐”です。惠泉塾の先輩たちのたくさんの証しが彼らを励まし、慰めてくれます。 精一杯の労働に汗して向き合い、少ないものを分け合い譲り合い、それが習い性となる、そんな神に役立つ僕になりたい・・・その祈り、告白を聞いていると、確かに彼らは変わったなあとしみじみと思います。本音でものを言い、裸眼でものを見る、それがこの人生道場の到達目標、神様への最短距離だと、デボーションで教えられ、また、元気を出して、一日一日をいとおしむように前進して行きます。 このような変化を与えてくださった主よ、本当にありがとうございました。最後まで悪いものから守ってください。感謝して。