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12月 神様がさせてくださった「学歴を捨てる決心」~安間侑佳梨さんの証より ~

 

意志力が弱くて、まわりの人に流されやすい自分が昔から嫌だった。将来の夢もやりたいこともなかったけど、いわゆる人生の負け組にはなりたくなくて「学歴さえあれば人生失敗しない」という家族のアドバイスにとりあえず従った。中学校ではオール5の通知表に生徒会長、アメリカに引っ越してからは帰国子女という「肩書き」を手に入れ、自我と自己主張の強さを評価するアメリカの価値観に流されてこの世で勝ち残っていく術を身につけた。
目的もなく履歴書を立派にする一方で、家族は壊れつづけ、心はどんどん虚しくなっていった。ニューヨークの小さなアパートでは母と姉が毎日怒鳴り合う中で、感情を押し殺し、理不尽な状況に対して何もできない無力に毎晩泣いた。授業があるとき以外は一日中部屋に引きこもり、呪いのように増え続ける家族の問題に振り回されながら、これ以上家族への負担を増やしてはいけない、私は我慢しようと言い聞かせた 。でも、とうとう去年の夏、我慢の限界が来て自暴自棄になり、日本帰国中に警察沙汰の事件を2度も起こした。日本の施設に入るように家族に説得されるも「大学だけは絶対にやめない」と断固として聞き入れず、アメリカに戻って廃人のように学校に通い続けた。学歴がなければ負け犬になる。いつの間にか「肩書き」を保つことが生きがいになっていた。
結局家族に流されるがまま、今年の7月に家族全員で惠泉塾に体験入塾し、そのまま9月に母姉と3人で本入塾することになった。家族から離れて自立する気力もなく毎度のように周りに流されて、気がついたら北海道にいた。学歴命の私は大学をオンラインで続けて卒業できなければ入塾しないと言い張り、そうすれば入塾しても 翌年の4月から就職できて社会的地位も保てる、そう企んでいた。
最後の望みをかけてたどり着いた余市に来てからも、私の期待していた愛し合う空気が感じられず、何度も絶望し、どんどん元気が無くなって神様さえも信じられなくなるくらいどん底に落ちた。塾内3度目の引越しで「館」にたどり着いて迎えた日曜日の祈り会で「 私の人生は人に流されるだけだった。怖くて何も信じられない」と、ほぼ初対面の水谷先生に泣きながらそう話した。すると「自我が無ければないほどよい、神様に従順になれる人こそ神様に喜ばれる。神様はもうすでに勝利しているから何も恐れる必要はない」と先生は言ってくださった。先生の言葉はありのままの私をそのまま受け入れ、ずっとコンプレックスだった私の弱さを肯定し、この世から神へと真逆の価値観に方向転換させてくれた。言われるがまま神様の勝利を信じ、人生の羅針盤を神様に向けてみたら、あんなに生きづらかった人生があっとういう間に楽になった。頑張らなくていいんだ、ありのままでいいんだ、もう神様は勝ったんだ! 神様に忠実従順に、自我を捨てて神様に生かされるだけでいい ―― なんて、自分にぴったりすぎる人生の生き方、目的を知れたことが何よりも嬉しかった。これが救われるってことなのかと神様の存在を初めて実感した。
私も先生のように神の愛で苦しむ魂を救いたい、そんな気持ちが湧き起こり、見よう見まねで自我を捨ててみたくなった。そうして気がついたらオンラインで取っていた残り5週間の大学最後のクラスを落とし、卒業を前提にもらっていた会社の内定も断っている自分がいた。日曜日からわずか数日後の出来事だった。神様だけを頼りにする人生を歩み始めたくて、何が何でもそうせずにはいられなかった。人生をかけて築き上げた「肩書き」を手放すのは怖かったけど、水谷先生が言うように、まず信じて神様の懐に飛び込んでみたら、「無職無学歴無収入。それがどうした、神様がいるじゃないか」と、そんなふうに思える不思議な平安が心にあった。
見える世界、肉の思いにすぐ引っ張られてしまうまだまだ弱い私だが、勝利の神様が私と共にいる限りは絶対に大丈夫だ!と思えるこの信仰だけは失いたくない。私を変えてくださった神様が、これからの人生でどんな神業を起こしてくださるのか楽しみで仕方がない。心からそう思えるこの信仰が与えられた恵み、惠泉塾に招いてくださった神様の導き、そしてニューヨークの平野さん夫婦との出会いに感謝の気持ちでいっぱいだ。