北斗の下 幕屋張れる 札幌召団 ハレルヤ いざや われら 祈り深く 聖書(みふみ)誦して生
かまし 二 イエスキリスト 聖書は力 集うわれら たのしや ああ聞かずや 福音(よきおとずれ) われらは待つ 世人を 三 今は昔 札幌バンド 士気烈々 蹶起(けっき)せり これに応へ われら往かめ み霊の火と燃えてぞ! 四 広大無辺 北海の島 歩むはこれ 伝道 あつきねがい み霊に在り 札幌召団 ハレルヤ! これは「札幌キリスト召団創立に当たり。歌詞 天鐘(ペンネーム)1982年8月15日作詞」と端書きのある小池辰雄の直筆による原稿で、最近、小池牧子さんが整理中に発見して水谷先生に送ったものである。 札幌キリスト召団は、1982年6月に小池先生を迎えて札幌クリスチャンセンターで行われた特別集会の席上、小池先生の宣言によって設立された。33年前のことである。この集会後、8月に小池先生は東京のご自宅でこの歌を書かれたのであろう。 ところで、内村鑑三最晩年の弟子小池辰雄の信仰からスタートした札幌キリスト召団が、現在の発展を遂げるきっかけとなったのは、同じ年の12月21日、水谷先生に与えられた直接啓示による終末預言である。水谷先生が小池先生に送ったこの証の直筆原稿も、実は、牧子さんからの手紙に同封されていた。以下、抜粋で記す。 「主の聖憤(みいかり)が悲痛な情動を伴って迫ってくる。―― もはやこの世は滅ぼさねばならぬ ―― 激しい驚きをもって私は了解した。しかし、己が時代の為に執り成しをせんとする者が一人もいない! 我々が滅びの世から永遠へと聖別された恩寵は己一人贖われし歓喜(よろこび)に明け暮れする為ではない。我が身を救うほどの熱心をもって時代そのものを主に執り成すためであったのだ。主は主のためにこれを為せと言われる。…ああ、この僕を潔めて用い給え、主様!」(水谷元信【当時】「 エンクリスト」所収) 二つの原稿を眺めていると、召団という群れは、神が選んだ聖霊の器を目的を持って導き、使命を託すために興されたのだということがますます鮮明になる。それが惠泉塾であり、ヴィタポートである。2014年より、余市教会の主日礼拝はエゼキエル書を学んでいる。エゼキエルは、捕囚の地バビロンに居ながら遠い故郷のエルサレムに叫ぶ預言者である。神に見せられて知ってしまった者の苦しみの中から生まれるメッセージに、水谷先生自身が重なり、創造主の愛の雄叫び、歴史を貫いて同じ神の叫びを聴く思いがする。