大連の小さな親善大使たちの目に、日本の北の果ての小さな丘の上にある「惠泉塾」はどんなふうに映ったの
だろうか。どんなできごとが刻印されたのだろうか。 第3回大連佳奇日本語学校の修学旅行団が余市にやって来た。今回のメンバーはこれまでより低年齢層が多い。7名の小学4年生、3名の佳奇学校生、3名の引率者で1月10日から19日まで、7泊の惠泉塾体験を含む北海道冬季修学旅行が実施された。 ことの始まりは、日本人の太田繁利さんと中国人の妻呉丹さんが人生に生き悩み、娘と一緒に惠泉塾という信仰に基づく共同体で生活したことにある。一家3人が命を回復し、日中の架け橋になるべく、貿易事業をスタートさせた。ところが、蓋を開けてみると2016年、「物品の貿易」から「人材の貿易」へ、驚きの急展開を目の当たりにすることになる。 「命を運ぶ」をモットーに、提携先の大連佳奇日本語学校と惠泉塾との間で始まった“取り引き”とは、余市惠泉塾への修学旅行や大連での教育セミナー開催を通して惠泉塾スピリットを伝え、人材の育成と理解者の掘り起こしに当たることであった。 まずは曹正一校長と孫学鵬さんが掘り起こされた。2015年、初めて大連で水谷先生に出会った2人は、その話を1回聴いただけで「教育」そして「伝道」に目が開かれた。人生いかに生きるべきかに回答を与えるような出会いだったのではないだろうか。混迷の現代中国社会、魂の飢え渇きを覚える数知れない同胞たちの中で、まず神に選ばれた二つの器。曹校長は自身の運営する学校に惠泉塾スピリットを導入する方針を固め、孫さんは㈱ヴィタポート入社と共に札幌キリスト召団員となり、献身の道を志す。 「物品の貿易」に先駆けて「人材の貿易」に道を開き給うた神であり、その御心に適って実施された修学旅行である。小さなお客様たちは一面の銀世界に瞠目し、雪と戯れ、くたくたになるまで体を動かした。早寝早起きが一番の心配だったという彼らだが、案ずるより産むが易し、朝から晩までよく学びよく遊んだ。日中協力体制で作り上げた「かまくら」。蝋燭の灯でライトアップしながらみんなで楽しむひとときもあった。 しかし、旺盛な食欲には自制心が必要だった。惠泉塾の食卓からしばし解放されたとき、食べ過ぎて体調を崩し、1日隊列から離れた子がいた。また、旅行初日、「ママー!」と叫んでホームシックに大泣きした子がいた。部屋で団子になって押し合いへし合い、くんずほぐれつ、ハムスターのように固まって過ごす彼らを見ていると、万国共通の真新しい「命」がまぶしく、愛くるしく、雪景色と共に、造化の妙を褒めたたえずにはいられない。 お別れ夕食会では一人ひとりが塾頭からの修了証書をもらい、小学生と佳奇学校生の代表が挨拶した。早寝早起き、三食欠かさぬ規則正しい生活、掃除や労働体験、ホストファミリーとの温かい交わりを通して、彼らからは「感謝」という言葉がたくさん出た。また、曹校長はここに来るとき空っぽだった自分の電池が100パーセント充電できた、と感想を述べ、中国人日本人という分類ではなく、「惠泉塾人」という言葉を使った。「多くの惠泉塾人の親切に触れ、私は神に恵まれていることを実感しました。感謝します。アーメン」。 大連にもこの空気が移植され、愛し合う共同体ができますようにと祈りつつ、18日朝、惠泉塾人みんなで札幌に向かう一行を見送った。