ニュース&トピックス

6月 第29回札幌キリスト召団夏期福音特別集会「神と共に歩んだ50年」に寄せて

「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ローマの信徒への手紙11:36)

余市惠泉塾では朝の学びで、水谷先生が神様と共に歩いて20年目に語られたヨブ記のメッセージをみんなで聴きました。水谷先生39歳、惠泉塾が始まる8年も前のメッセージです。驚く勿れ、先生は神の御前にひれ伏して、すでに、次のように祈っておられました。

「ああ、主よ、破れて取りえのない私を選び、立たせてくださり、生きる意味を与え、今日まで導いてくださったこの御恩寵を思うと、どんなに感謝してもし切れません。長い人生の歩みの中で、魂を傷つけ、傷つけられ、立ち上がれず、へとへとになってしまうことがありましたが、わがうちにあなたが豊かに宿ってくださるがゆえに、僕(しもべ)は今、恵みの御座に招かれて豊かな饗宴にあずかっております。わが人生は輝き、その仕事は祝福されています。なぜこれほどまでに、この僕の人生が祝福されるのか、と思います。しかし、その一方で、ヨブのように苦しみの人生のどん底で自暴自棄になってさまよう魂がたくさんあります。色づいて刈り入れを待っている魂が多くあります。しかし主よ、招いても、招いても、宴の筵に来る者がいないのです。主よ、この豊かさを独り占めすることなく世界の果てにまで流していくことができますよう、お導きください。ぜひこの良き訪れを伝えていくことができますように。そして主よ、この僕の祝福された人生は、投げ出すためにあるのではないかとも思います。どうかもっともっと多くの魂に仕えていく勇気をお与えください。 僕はあなたの道具です。道具である以上、持ち主に用いられねば何の価値もありません。しかし、どんな小さな道具であっても、たびたび道具箱から取り出して愛用していただけるならば、持ち主は良く磨いて手入れしてくださることでしょう。使い手に全身委ねて自分の意志を投げ出す道具こそ持ち主にとって価値があります。私たちは皆、一流の人物になり得ますが、それは、主が、投げ出されたその人生を拾い上げてくださり、輝かせてくださることによります。自分の努力で輝くのではありません。一人一人に別々の存在目的があり、主が用いてくださるとき、その存在目的が輝きます。そして、そのような一人一人が群れなすところ、素晴らしいハーモニーを奏でるオーケストラが生まれます。ああ、主よ、そのようなオーケストラを、あなたのお喜びのために生み出すことができますように。アーメン。」

ご自分を一個の道具として差し出し、全人生を神様に用い尽くされたいと願った水谷先生。まさにこのとき、神様は先生を捕らえられたのだと思います。8年後、神の愛を信じて、「終末の世に人生の学び舎をつくれ」という暴君のような神様の命令に服して人生を切り替えた水谷先生の姿がありました。積まれた祈りに神様は答えられ、先生を惠泉塾、さらにはヴィタポートへと導かれたのではないでしょうか。その50年の歩みを通して、私たちは、この壮大なご計画は徹頭徹尾、先生と共におられる神様が始められ、神様が成し給い、神様が完成に導き給う、と信じることができます。そして、後に続く私たちは、投げ出された一個一個の道具となることが求められているのだと教えられます。神のオーケストラの一員として水谷先生と同時代を生きられたこの幸いを、深く神様に感謝申し上げます。アーメン (写真は水谷先生22歳の時)