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8月 一粒の麦、地に落ちて死なずば ~第3回惠泉塾ヴィタポート見学会~

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛す

る者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12:24、25) 惠泉塾はこれまで21年間、利用料金の授受なく運営されてきた。運営が成り立っているどころか、ますます拡大している。ここを利用したい、ここで元気になりたい、ここで働きたい、生きる喜びを回復したいという人は世に溢れているらしく、後を絶たない。 よき訪れ(福音)、神の言葉のもつ実質が、21世紀の今、見えるかたちになっている。それが惠泉塾、そして、㈱ヴィタポートではないだろうか。 去る7月4日、第3回惠泉塾 ヴィタポート見学会が行われた。北海道内はもとより、兵庫県、千葉県からもこの「魅力的な生き方」はどこから?と不思議に思う23名の方々が呼び集められた。そして、おそらくは、本当の豊かさとは何かを探りつつ、熱心に見学してくださり、メッセージに耳傾けてくださった。生かされていることを喜び、生きるって素晴らしい!と思えるこんな世界が、北国余市の豊丘に生まれた。何もなかったところが今、詩編23編の世界、「緑の牧場、憩いの水際」になっている。 未だかつて日本にはなかった神の現実。それは、一人の信仰者によって、何もないところに一歩踏み出すことから始まった。その人、水谷幹夫先生に一歩踏み出させたきっかけは、もう一人の信仰者の死にあった。職場で唯一の信仰の友、数学教師、入江幹男先生の突然の死の知らせ。「時はない。おまえもすぐにこうなる。すぐに任務に就け」。混乱した胸の内に届いた生々しい神の啓示、青空に浮かぶ大きな歯車の幻…それは文字通りの青天の霹靂であったという。メッセージの中で、水谷先生は折に触れてその当時のことを振り返る。こうして、同僚の死、一粒の麦が地に落ち、そのことによって惠泉塾は誕生したのだ。 当日、見学会参加者の中に、入江先生が22年前に心不全で亡くなられたとき、担任のクラスの生徒だったというYさんがおられた。当時高校生だったYさんは現在、札幌在住のPCウェブ・デザイナー。ふとしたきっかけで「召団・惠泉塾・ヴィタポート」ホームページの制作を担当されることになり、奇しくも水谷先生と20年ぶりに再会した。仕事のためにも今回、この“不思議なエリア”の全体像を知る必要があると感じて参加されたそうだ。惠泉塾発祥の地、一番古い建物「惠泉荘」と、北斜面に広がる新緑のサクランボ畑を見学されたYさんは感慨深そうに見回し、「しっかり見せてもらいましたよ!」と仰った。 亡き入江先生の教え子が神様に導かれて惠泉塾に招かれた―― 。このことを実現なさった主は、これからどんな御計画をこのデザイナーに持っておられ、用いようとされるのか、私たちには知る由もない。しかし、ご自身働かれて歴史の証人を北の大地に呼び寄せてくださるという、そんな主の粋な御計らいを見せていただいた思いがする。 ご近所の主婦、美容師、自営業、製造業、会社社長、教育・福祉・病院関係者、取引先の業者…とその職種もさまざま。参加者のほとんどがノンクリスチャン。多彩な顔ぶれで織り成す楽しい交わり、真摯な時の流れに愛が満ち溢れた。アンケートには、「元気をいただきました!」「ぬくもりを感じました」「大変でしょうが、これからも地域のために頑張ってください」と記されていた。