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9月 人生の謎 ~詩篇49篇のメッセージより~

「諸国の民よ、これを聞け。この世に住むものは皆、耳を傾けよ。人の子らはすべて、豊かな人も貧しい人も。

わたしの口は知恵を語り、わたしの心は英知を思う。わたしは格言に耳を傾け、竪琴を奏でて謎を解く。」(詩篇49:2~5)  精一杯、今を生きている私たちが、なぜテロや震災など突然の不幸に巻き込まれたり、不治の病に罹ったり、事故に遭ったりして理不尽にも死ななければならないのか。すべての人を待っている「死」という問題。宗教家は皆、そのことを思い巡らし、どのようにしたら死の恐怖から逃れうるかを考えた。詩篇49篇の詩人も、それを「人生の謎」とした。 「神に身代金を払うことはできない。魂を贖う値は高く、とこしえに払い終えることはない。人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか。人が見ることは、知恵ある者も死に、無知な者、愚かな者と共に滅び、財宝を他人に遺さねばならないということ。」(詩篇49:8~12) 詩人は人生の謎を解く鍵として「死」を見据える。人間はみんな死ぬ。どんなに財宝を積んでも、どんな業績を残しても、それで命を買い戻すことは出来ない。蓄えたものは後に残していくしかない。命は神の御手に握られており、人間の自由にならない。命の贖い代は高すぎて、どれほどの富を積んでも魂を買い戻すことはできない。 肉体は死ぬ。私たちはどういう死に方をするかでその人生が決定するかのように思う。しかし、人生の終わりはそこではない。聖書は、どういう死に方をするかではなく、死後神の前でどういう裁きを受けるか、ゴールはそこだと言いたい。一体誰が永遠の死、本当の滅びを免れることが出来るか。誰一人、神の前に正しい人はいない。人間は誰も救われない。みな罪人であり、等しく滅ぶべき存在として神の前に立たねばならない。 「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる。」(詩篇49:16) ところが、神はそれほど高価なものを力ずくで陰府の爪から奪い返してくださるという。魂は神の愛が一方的に買い戻すのだ。私たちは神に喜ばれ、顧みられ、受け入れられることによってのみ、死に勝利する。神はどういう人を顧みられるのか? それは「貧しい人」(49:3)、である。財宝や自分の力を頼みとせず、神のみに信頼する人である。何を成すかではない。どうあるべきか、その存在のありようが一切なのだ。私たちの存在の目的は何か素晴らしいことをする以上に、神に信頼し、神を喜び、神の愛に生かされることにある。何一つできなくなっても、その存在が神の素晴らしさを証ししているならば、神を信頼することにおいて命につながっている。約束を信じて死を乗り越えて行くという人生がある! これが「人生の謎」に対する詩人の答えではないだろうか。 人間は栄華の内に悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい。(詩篇49:21)