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惠泉塾で生きる目的見つけた!~ 余市惠泉塾3ヵ月目の山守謙さんの報告 ~

写真本人左

「病弱で色白」、これが過去の私を表現するのに一番ふさわしい表現です。私は書斎に引きこもるようにして、机の上で一日中、本とパソコンを前にしていた元牧師です。虚弱体質で、毎月のように体調を崩し、〝日曜勝負″の牧師が2週続けて教会欠席ということもありました。
「健康で色黒」、それが余市惠泉塾生活を始めてたった3ヵ月の、今の私の姿です。会う人が異口同音に「変わった!」と言い、私の生みの親である母親までもが「誰だか分からなかった」と言いました。こじらせていた喘息も、もう息苦しかった感覚すら覚えていません。スーツとネクタイを脱ぎ捨てて、大空の下、共に働く仲間と大自然を前にした〝元牧師″は、神学校で習うことのできなかった実践的学びをさせていただく中、人間本来の姿を取り戻していきました。
健康になったのは体調だけではありません。自分のために生きていた今までの人生で、私はいつも誰かに認められたいかのようにして、あらゆることに手を付けてきました。アメリカ留学、経営学の勉強、医者になるための勉強。そして、聖書の神を知って、神学校で神について〝お勉強″したあとも、それまでと何ら変わらない価値観のままに、今度は臨床宗教士になろうとしてその資格に憧れたり、比較宗教の大学教育を副業とした〝立派な牧師″になるために、大学に戻って禅仏教まで学び出したりしていたのです。
そんな矢先、惠泉塾と出会いました。私は自分の人生が神と隣人のためにあったことを、今さらのように知りました。そして、神の望む「愛し合う世界づくり」の担い手になるための自分であったこと、「創造」にも「救い」にもここに目的があったということを知りました。
そうか、聖書はそのことをこんなにも声高に叫んでいたのに、なぜ聞こえなかったのだろう。命を得ようとしてこれを手放さず、与える愛に無関心だった学者はだれか?

 隣人愛のために神様に使っていただく人生。自分の内側から、確信と喜びが毎日、滝のように溢れ出てきます。自分で自分を支え続ける人生の方がはるかに苦しく、果てしもない長い旅路だったからです。ここ余市には、互いの欠けを補い合う生活があります。90人以上の「新しい家族」との共同生活では、自分自身のために生きる時間はありません。家族全体の益のために働く農作業。それが終わって、自室での時間も、倒れそうな友のための渾身の祈りと励ましの手紙を書く時間…。そのようにして過ごす毎日の終わりに、満天の星空の下、今、生きている喜びを夜空に向かって叫び出したくなります。
元いた教会からは理解されず、排斥され、職は失いました。しかし、今は、職業ではなく神からの使命に燃えて立ち上がっています。それは、誰にも奪えない〝毎日勝負″の本物の信仰生活です。
今までに幾度となく湧き上がった、留学先のアメリカにもう一度帰ってみたい、という夢も消えました。休暇があればリゾートにでも行きたい、などという願望も枯れ果てました。異なる者が互いに愛し合って一つとなる場、惠泉塾が私に、地上のどこよりも素晴らしい神の国の味わいを教えてくれたからです。

「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカによる福音書17・21 新改訳)