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4月 「新・壊れた私 元気になった」~福岡惠泉塾 水田佳代さんの証しより~

 

一 種は蒔かれていた

イエス様を知ったのは父親の転勤で鹿児島に行ったときのことだった。妹が人見知りで幼稚園に馴染まないのを心配した母から、園に隣接する教会に一緒に行ってほしいと頼まれた私は、二人の妹と日曜学校に通うようになったのだ。聖書を教えていただいたり、讃美歌を歌ったり、聖句を覚えたり、と楽しかった記憶がある。たった一年だが、神様の存在を意識する習慣がついた。その後、何十年も教会には行っていなかったが、ときどき神様にお祈りすることはあった。今思うと、このとき日曜学校の先生によって種は蒔いていただいていたのだと思う。感謝。

二 苦しみの始まり

三人姉妹の長女でしっかり者、妹の面倒もよく見て、何でも器用にこなす明るいお姉ちゃん、子どものころの私はそんな感じだった。二十四歳で結婚、子どもを二人産んで平凡な人生だった。実家のある千葉から結婚して福岡に来たことで知り合いがいなくなり、夫も帰りが遅かったので子育ては孤独だった。この小さな命を守らなければという思いが強すぎて、神経を磨り減らしていったように思う。さらに、二人目の子どもはどうやら成長が遅いようだ。あまり気にしないようにしていたが、小学校に上がると担任の先生から病院で受診するように言われた。発達障害とのことだった。担任の先生に「エジソンも発達障害だったんです。エジソンの母みたいに頑張ってください!」と言われた。頑張った。自力で。勉強し、工夫し、行動した。そのころ先にクリスチャンになった妹からも、近所の教会の方からも、信じて神様に託すようにと何度も勧められたが、「我が子のことで親が頑張らなくてどうするの? 神? 神がいるならなぜこのようなことがおこるの? まじめに生きてきたのに…」と反発してしまった。そこがサタンの足場になってしまったのだ、と今ならわかる。
自力の頑張りはある程度は効果があったが、息子の反抗期と共に何の意味もなくなってしまった。息子は非行少年になり、私は何処にいるのか分からない息子をあてもなく夜中に探し回る日々となった。息子が警察に捕まったときはあぁこれで探し回らなくてよくなった、とホッとしたのを覚えている。

三 信仰

現実的に自力が発動できなくなった私は、やっと神様の存在を思い出し、以前、アメリカにいるクリスチャンの妹から紹介を受けていた元ヤクザだったというI牧師に連絡を取ってみた。世界中を忙しく飛び回っておられるI牧師がたまたま九州伝道にこられ、たまたまその日の予定がなくなったというので、我が家に夫婦で訪ねてきてくださった。祈ってくださり、教会へとつなげてくださった。何十年ぶりかで足を踏み入れた教会は温かく、傷ついた私を包んでくれた。涙があふれた。教会の人たちは優しかった。礼拝に参加するうちにごく自然に洗礼をうけようと思った。そして心に平安が来た。

四 悪夢

息子が帰ってきた。反省していた。親に迷惑をかけたからこれからは親孝行がしたいと言って泣かせてくれる。しかしそれは悪夢の始まりだった。「親孝行したい心」と「自分の無力を知った絶望」の狭間で、彼の精神は壊れていった。小さく弱い自分を認めることができず、大きく見せたくて仮面をつけ、虚勢を張る。失敗は受け入れられない。自傷行為の果ての自殺企図、繰り返される入退院、引きこもり…。毎日のように死にたいと言う。怖くてたまらない私。寝ている間に死んでしまったらどうしよう。そう思うと眠れない。永遠に続くのではないかと思われるような暗闇。この苦しみの中ですがるようにして息子も洗礼をうけた。少しホッとしたが、それ以上、私たちはそこから抜け出せないでいた。毎日泣きながら祈っていた。助けてください、助けてくださいと。闇雲に自力で戦っていたが戦い方を知らずにいたと思う。弱いのだから、神様に信頼して任せれば良かったのに。
神様は頑固な私たち親子が粉々に砕ける必要を感じられ、迫っておられたのだ。

五 惠泉塾へ

再びアメリカの妹から、今度はニューヨーク教会の平野さんを紹介された。ご夫婦で我が家を訪ねてくださり「神にできないことは一つもない」と力強く語られた。惠泉塾に行ってみたいと思った。すると願いは適い、昨年三月から十一月末まで余市惠泉塾で信仰訓練生として受け入れていただいた。本当に素晴らしい体験をさせていただいた。
九ヵ月で、だれもがびっくりするくらい「元気になった」私。高血圧、糖尿病、喘息、アレルギー体質、原因不明の背中の痛みを抱えて余市に行ったのに…。腎臓も弱いし胆嚢がないので消化が悪く、体力も筋力もない。そして、息子の問題で精神的にも追い詰められていた。ボロボロだった。自覚はなかったが、息子だけでなく、あぁ紛れもなく私も壊れていたんだと思った。
そして、考えた。私はどうして元気になったのだろう。水谷幹夫先生との面談で余市に誘っていただいたとき、息子を残して行くのが恐いと言った私に「あなたは本当の信仰が分かってない」と先生はおっしゃった。私の持病に対しては「治ります」とおっしゃった。それを信じるようにと励ましてくれた姉妹に背中を押されてそのとおりにしてみたら、たちまち私の病気は医者も驚くほど良くなった。信じたのでその通りになったということなのだ。さらに、水谷先生はじめ、余市で出会った先輩方の生きる姿勢、何よりも愛し合う空気が癒しと成長を与えてくださったと思う。肉親の愛に勝る霊の家族の愛を知った。

六 「あなたは私に従いなさい」

元気になった私、今度はこの恵みを苦しんでいる隣人に流していかなければならない。余市から帰った私は、気負い過ぎて自力を発動してしまって躓いたが、朝の聖書の学びを命綱に、信仰を生活実践する毎日を取り戻している。
今、息子には隣人として寄り添っている。少しずつ変わってきているが、体調にムラがあり、精神も上下する。以前の私ならこの上下にすぐ同調し、影響を受けて疲れてしまい、落ち込んでいたが、今は引きずられることなく冷静に接することができている。
息子の将来についての心配はある。しかし、朝の聖書の学びで「ヨハネによる福音書」を学んでいるとき、二十一章でペトロが、イエスの愛しておられた弟子のことを指して「この人はどうなるのでしょうか」と言ったところ、イエス様が「あなたに何の関係があるか。あなたは私に従いなさい」と言われた箇所に出会った。
そのとき、私の息子への心配に対しても「あなたとは関係がない。あなたは自分の信仰を固くして私に従いなさい」と迫りを受けたように思えた。「息子のことは委ねよ」と言われたように思えた。「はい、分かりました。あなたに従います」と言おう。
余市では毎日喜びをもって神様のために働くとき、内側からエネルギーがあふれてくることを体験した。小学校三年生でイエス様を知って以来、人生の要所、要所で導き手に出会わせてくださった神様…。その神の愛が与え給うた苦しみを通して惠泉塾という波止場にたどり着き、真理を知ることができた。その道は細いがまっすぐだった。「帰っておいで」と私を呼び続けてくださり、根気強く待っていてくださった神の愛にお応えしたい。元気になった私だからこそ、今度は同じような苦しみの中にいる方々の光になりたい。