主は驚くべき御業を記念するよう定められた。/主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮
を得る。主の賛美は永遠に続く。 (詩編111:4、10) 2月7日、都賀オリーブ山教会で札幌キリスト召団として初めての小池辰雄誕生日記念会が行われた。「泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶような人生を送りたい」との水谷先生の18歳のときの祈りは小池先生の心に届き、在りし日の小池先生はご自分の掴んだ真理、信仰の奥義を水谷先生に手渡してくださった。以下、記念会当日の木下肇さんのお話から。 「札幌キリスト召団と無的実存」、これが本日、私に与えられたテーマです。無的実存とは何か。それは「己を何者ともせず、ただ神を一切として全身を委ねる生き方」であり、イエス・キリスト、しかも、十字架のキリストの姿であることを私は小池先生から学びました。惠泉塾は「己を何者ともせず、ただ神を一切として生きる」ための実践現場です。 札幌キリスト召団は1982年、小池辰雄先生の提唱で生まれた群れですが、その誕生を願う手紙が見つかりましたのでご紹介します。水谷先生宛1980年9月20日の日付です。 『1940年9月22日、武蔵野幕屋スタート、40年経過した。ドラマの40年であった。過去を見るのではなく、将来に向かって烈々たる抱負を語らんとす。来年北海道に行く。その時札幌召団がなっていることを切望する。』 また、1981年6月3日付の次のような手紙もありました。 『結婚おめでとう。北大生として勉学研究、教員として活躍研鑽、常人のなしえないことを果たした。典型的実存と業績を積んだ。感服‼ 我々(小池、水谷)は使徒の使命を賜っている。私は喜寿を迎えた。気魄は永遠の青年。貴君と勇ましく使徒的信仰の証者として邁進する。君と私は共にパウロの如く走りぬこう‼ 』 (中略)最後に、次のような書簡をお読みして、本日のお話を終わらせていただきます。これは、1995年10月16日、小池先生が亡くなる前年、そして、惠泉塾が誕生する前年、入江幹男先生が亡くなられたときのものです。 『貴君の今後の独立的な仕事と生涯に、キリストのご加護熱くあらんことを信じ、且つ祈り上げます。恵福なる哉、福音のためキリストのため独自の道を進み行く水谷惠信君。聖名に栄光あれ! 貴君の伝道集会に参加する人々が、福音のすごさに圧倒され、天的喜びに雀躍(じゃくやく)せんことを。』 入江先生、小池先生の死を経て誕生した惠泉塾は20年を越えて存続し、神の歴史の一端を担っている。惠泉塾を営んでいると、日本の歴史に参加しているような気がする、と水谷先生は仰った。もしかしたら、私たちも今、大切な歴史の転換点にいるのかもしれない。 過去や未来はどうにもならないとしても、今生きている人に呼びかけて、その人生を転換させることはできる。それが伝道の精神でもある。独立伝道者としてこの道を56年歩まれた小池先生、今49年目を歩いておられる水谷先生の衣鉢を継ぐとはそういうことではないだろうか。