「あなたがたは地上に富を積んではならない。」「富は、天に積みなさい。」「あなたの富のあるところに、あ
なたの心もあるのだ。」(「マタイによる福音書」6:19~21) 聖書によれば人が富を積むことは肯定されているが、どこに積むかが問題である。富のあるところに人の心もあるからだ。地上は人間の世界だが、天上は神のいます世界。どちらに目を向けるかでその人の生き方が変わる。天に目を向けるとは、愛について、すなわち神について考えることだ。神は目に見えず、愛も目に見えないが、確かに実在し、人の心を変える力を持っている。「見えない愛」によって人は生かされ、生き生きと元気にもなるが、また一方、「見える金」によって険しい表情にもなる。人間の世界のことを考えているか、神のことを考えているか、実はここが“生命線”なのである。 キリストは自ら人類の罪を背負い、これを処理してくださった。この言葉を信じて罪から解放されるならば、神との関係が回復され、この見えないお方に対して愛を注ぐことができるようになる。そういう関係になって初めて、神が愛してやまない隣人への愛が湧く。エゴイズムから解放されて愛する者、物惜しみせずに喜んで与える者になる。 8月26日、姫路で故合田くにさんの記念会が行われた。インマヌエル学院の生みの親、くにさんは牧師であり教育者でもあったので、当日は、神の愛でくにさんに愛されたという元CSの生徒や塾の教え子たちがやって来た。全生活を通して愛することをやって見せたくにさんの信仰は、行動を生み出す教えだった。くにさんに愛されたたくさんのことを記念会で語ってくれた人たち。それを聞いていると、くにさんは「天に宝を積む」という生き方を貫いた人だったのではないかと思う。5人の子どものために女手としての自分の存在が必要とされたので、50歳を過ぎた男性との結婚を決意、合田政博さんの父親に再婚相手として嫁いだという。罪から解放されていなければ、他人のために自分を犠牲にすることはできないだろう。天に宝を積む前に必要なのは信仰なのである。 イエス・キリストの救いに信頼しているからこそ、彼女の必要はすべて神が満たしてくださることを疑わず、結婚の決意もできたのではないだろうか。必要が与えられなくなったら死ねば良い。仕事が終わったときが死ぬときだ。いつ死んでも良い。何を食べても良い。どこで寝ても良い。誰と結婚しても良い。私たちもイエス・キリストのように、また、くにさんのように、全く投げ出された人生を送ることが期待されている。いつ死んでも良いが、今、生きているとすれば、まだこの地上に神から託された仕事があるのだ。 日本の教育は混沌としている。国民は目先の利益を願って子育てもしようとしており、真の教育を望んでいないように見える。一番大切な教育のポイントは学力ではない、人格の教育だ。人を愛する心を持った人を育てることである。私はこの学習塾で愛の教育を実践したい。天に宝を積んだくにさんの孫で札幌キリスト召団員の合田恵介さんが今、湧き立つ思いで学習塾再生の先頭に立っている。神に捕らえられ、今までの信仰姿勢を正され、目が覚めて本気になったのだという。主にあってまずは職員同士が愛し合い、一つになろうとする若きリーダーの取り組みに、神の熱いまなざしが注がれていることだろう。インマヌエル学院で今、何かが起ころうとしている。