塾生が巣立って行きました。閉塾となりましたが、ヴィタポートがあり、惠泉ビレッジがあり、動物たちが飼育
されるここ余市惠泉塾では、相変わらず60人以上の人が暮らしています。2013年度の伝道日程を全て終えられた水谷先生夫妻が、少しだけゆっくりされ、食卓を共にされ、朝の学びをリードしてくださいます。 一夜にしてどっさり降り積もる雪深い豊丘の里で、粉雪の埋め尽くす静かな時間を過ごしつつ、新しい年度に備える私たちの閉塾生活。ある日の学びで先生は語られました。 惠泉塾の最終目的は何か。それは、人間を育てる場所にすることであり、余市惠泉塾はそのための場所になるだろう、と。各拠点、各事業所、また新しい働きのために、担い手となるような人材を育てて送り出すことには時間がかかる。余市で人を育てて必要なところに派遣したい、そのための場所はここしかない、と新年の抱負を語られました。 惠泉塾で暮らす者、いや、世の全ての信仰者に、真の教育者たれ!と先生は呼びかけられます。きれいごとではない、生の人間って何なんだ、と率直に理解する心が愛するために大切である、と。事実、現場で一番必要なのは教育力だ、と塾生と共に暮らしてつくづく思わされます。『波止場便り』25号の巻頭言「信仰と教育」からの抜粋を紹介します。 「惠泉塾は健康な人たちで構成されている共同体である。病院や施設ではない。だからこそ、病んだ人が健康を取り戻すのに相応しい健康な空気と健康なリズムに満ちているのだ。生産性を伴った、信仰に基づく共同生活は人を育てもするし、心の病を癒しもする。 しかし、この共同体で暮らす信仰者だからといって必ずしも皆が真の教育者たり得ない。 教育力は感化力であり、その人格から醸し出される愛の空気である。教育力は人を造り変える力だ。生きた信仰は豊かな教育力を持つと言える。理屈による観念信仰の殻を打ち破って、生活に根差した、愛する力としての信仰を培う中に教育力は発芽すると言えるだろう。(中略)あなたは本当にキリストの幹に接木されているか? 神の樹液はあなたの体内に流れ込んできているか? あなたはキリストと運命を共にしているか? 確かめてもらいたい。」