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2月 日脚伸ぶ夕空紺をとりもどし 皆吉爽雨   ~ひかりの春の訪れ~

「冬は日が短いが、そのもっとも詰まった日が冬至である。これが過ぎると一日一日と日が長くなってゆくが、

その伸び方は俗に畳の一目ずつとも言われるほどに遅々たるものである。それでもある日ふと、日が伸びたな、と感じるようになる。冬も終わりに近づいた1月半ば過ぎのことが多い。『日脚伸ぶ』という俳句の季語には、どことなく寒気の緩んできた日常の喜びと共に、もうそこまで来ている春に手を差し伸べる気分がある。」 (綾部仁喜『新日本大歳時記』より)  2016年、新しい年が始まって1ヵ月。この歳時記にもあるように、それほど変化のないように見える日常生活の中でも、ふと今までとは違う夕暮れどきの明るさに気づかされてハッとすることがある。 余市惠泉塾では担当者がそれぞれの柴犬を連れて、塾内の散策コースを毎朝夕ほぼ決まった時間に散歩している。一年中で一番の豪雪期、白一色の銀世界では日暮れが早いのは何とも切ない。犬に少しでも明るい雪道を駆け回らせてあげたいが、思うに任せず、仕事が終わる頃には暮れかかって辺りは暗くなっている。それが、このところ、毎日少しずつ日脚が伸びてきた。造物主は北国の春の希望を、まず、光に感じ取らせてくださった。  惠泉塾生活の中で何をしているときが一番幸せな時間か?という質問に対し、一日の仕事を終えて犬と散歩をしているとき、と答える人がいたが、同感だ。夕間暮れ、余市豊丘の空が大きい。丸天井に残る茜雲のほか、ほとんど無色無音の世界の下にいて何も考えないで歩く。犬一匹、人間一人、ほかに誰もいない一面の雪野が原で神と交わるひととき…。我もなく世もなくただ主のみいませり。犬に語りかけることを通して神と語らうことを発見すると、我と犬との関係が親しくなり、距離が縮まっていることを実感する。 この大自然を含め、全被造物の管理を任されているという私たちが神ご自身を知ることのいかに大切であるか、惠泉塾へ来て私たちは改めて知る。きっと、ここは神様が私たちに教えたい教材の宝庫なのだ。日々の作業、友との語らい、生活の一こま一こまから深く教えられている。与えられたひとときに感謝しながら散歩するうちに、次の聖句が浮かんで来た。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイ6:34)