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6月 六月を奇麗な風の吹くことよ   正岡子規

 惠泉塾の6月は、主が「青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせて」くださっているよ

うな瑞々しさ、美しさだ。色が無いはずの見えない風を奇麗だ、と詠んだ明治の俳人正岡子規のまなざしに透明感があり、惠泉塾に暮らす私たち信仰の家族にも共感を呼ぶのではないだろうか。青草に映える真っ白な2匹の子ヤギ、「新」と「躍」は日々に成長し、元気一杯飛び跳ねて仲良く遊び、ときどきヤギサークルから脱走する。またときどき、ぷるぷると振れる短いシッポが子ヤギらしくて愛くるしい。  先日は、ロータリーをかけ、黒々としてふかふかになった畑の土にタマネギの苗1万本とジャガイモの種芋350kgを植え付ける作業をみんなでした。気持ちの良い汗を流して農作業班のリーダーに従って働いていると、肉体はへとへとに疲れるがぐっすり眠れて爽快だ。テンポ良く体を動かして本気で働くのは実に気持ちがいい。人間の肉体は本来、土を耕し草木の世話をするのを快く感じるようにできているようだ。普段はヴィタポートの事業所で働き、神経疲労気味の職員も時間をやりくりして思い切って外へ出る。この間、神様が応援してくれているような素晴らしいお天気を恵まれた。  ところで、聖霊の個性について、A・B・シンプソンは次のように書いている。  「聖霊は創造の神である。生命と栄光の大潮流の中に振動する自然の生長力に目を注げ。いかに静かに厳かに、しかも抵抗すべからざる力をもって、自然は年の復活に向かって動き、夏と収穫時の充満と栄光に向かって動き進みつつあることか。いかに潤沢な生命と能力の豊かさをいずれの方面にも見ることであろう。この地に住む民の実際の必要以上に、花咲き乱れ、葉は茂り、果実はたわわに結び、森をも野をもおおい、彼の力と愛はその充溢の吐き出し口を知らぬかのように、神の賜物を潤沢に撒き散らしているではないか。」  自然における変化と生長を見るだけでも神の力の大きさに圧倒されるが、恩寵における神の力の大きさは決してそれに劣るものではない、とシンプソンは語る。余市豊丘の里に暮らしていると、「充溢の吐き出し口を知らぬかのように神の賜物を潤沢に撒き散らしている」というところがリアルに実感できる。それで、創造の神なる聖霊の働きの大きさ、贅沢さ、気前良さに驚嘆してしまい、御言葉の内実を深く教えていただくことになる。  昨年惠泉ヴィレッジに移り住んだ、動物飼育担当のAさんは、惠泉塾に来てから自然を見て神を感じることが多くなったという。今、私たちは神を知るのにこんなにも恵まれた環境に置かれていることを感謝しつつ、1年で一番美しい余市惠泉塾を満喫させていただいている。