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聖書随想~教えてください私の罪がどれほどあるか

(ヨブ記第13章)

 

私達は自分の罪深さを認識することが大変難しい。被害者との関係が薄ければ、犯罪の心の傷も容易に癒え忘れ去られる。若気の過ちは誰にもあること、と自分を甘やかす。私達の内に厳しい正義感が育っていないから、良心の呵責もあまり感じない。その上、小さな罪は大したことない、警察に捕まるような重罪さえ犯さなければ良い、人目につかなければ、見つからなければ平気だ、そんな思いを捨て切れない。それは生ける神の臨在に触れたことがないからだ。生ける神の御前に我が身を曝されて、あの白光に心の奥まで照らし出された恐ろしい経験がないからだ。自己弁解の心の城壁がもろくも突き崩されて、あらわになった自分の本当の姿に目をおおう辛い経験をしたら、私達が死刑を申し渡されても、それが至当な処置だと認めないわけにゆかないのだ。「それでもお前は生きよ。」と言われて耳を疑う。「私がお前を贖ったから。」ハレルヤ。