今から1年程前、2020年12月24日の朝のデボーションで、水谷先生から、「インマヌエル学院が発展しないのは、姫路の信仰が足りないからだ」とのご指摘があり、その後の悔い改めの祈りの中で「イエス・キリストをください!」という、初めて口にする言葉に自分が驚くという出来事がありました。すると年明けの2月、それまでいくら余市行きを勧めても頑なに拒んでいた母が、「このままでは自分はいつまでも変わらない。お金は全部献金して余市に行きたい。お父さん(政博さん)と虹乃家に入れてもらえないか」と言い出しました。そこからの展開は実にスピーディでした。水谷先生から両親の「惠泉虹乃家」入所の許可がおり、3月には私たちインマヌエル学院の職員に対し、「余市に移住して信仰・生活・仕事の基本を学び直すように」との指示があり、3月中にまず小崎さん夫婦が、4月の頭には私の両親が、そして、4月末には私たち一家が、それまで住んでいたアパートや借家を引き払い、この余市に招かれたのでした。
それからあっという間に8ヶ月が経ち、今年ももう終わろうとしていますが、神様は私のような鈍い者に対してさえ「天国の前味」を、確かに日々見せてくださっています。それは文字通り「押し入れ、ゆすり入れ、あふれるばかりの恵み」でした。とても10分間では表現し切れませんが、ぜひ皆さんと分かち合いたいと願って証言いたします。
余市には、かつて姫路で共に時を過ごした人が何人かおられますが、まず驚いたのはその人たちの変わりようでした。Hさんは姫路に来てからすぐに鬱になり、朝のデボーションの時、教会の礼拝堂でまるでミイラのように床の上に倒れていたのですが、ここ余市では別人のように元気にキビキビと働いており、歩く速さも私よりも早く、うちの子どもたちに対しても一生懸命気にかけてくださいました。また、Sさんは姫路では、あまりの個性の強さに皆がついていけず、私ともぶつかり合って時には血を流したこともあったほどでしたが、全く柔和な別人格に変わっており、一生懸命秘書としての仕事に励むかたわら、若者の中心的存在となっていました。
さらに私たちより1ヶ月早く余市に来ていたTさんは、重い心の病を持っていたのですが、余市で再会した時には、彼の話しぶりから行動にいたるまで、姫路にいた頃とはまるで別人になっていました。こちらに来て間もなく、午後の塾作業で大倉庫前に集合した時、久しぶりに会ったTさんに挨拶したら、何と、振り向きざまに笑顔で挨拶を返してくれたのです。「笑っている…」。
姫路の朝礼ではいつも苦虫を噛み潰したような顔で、何を聞いても「いえ」「何もありません」と否定語しか使わなかったTさんが、笑って挨拶をした…。これには全く信じられない思いでした。かつて、彼の胸に頭をつけて「主よ、どうかTさんを癒してください!」と祈ったその祈りが聞かれた瞬間だ、と思いました。
その後、皆で円になってラジオ体操をしたのですが、体操しながら「まだ笑っている!」…これには、こちらも感極まってしまい、Tさんの苦しんでいた時を知っている名古屋や熊野の方々にも見せたい、忘れることのできない、感動的なラジオ体操になりました。Tさんは現在、再び弱くされていますが、惠泉塾は神と出会う場所であり、その本来の目的のために、神様が必ず彼を本質的に造り変えてくださると信じます。
その他にも、摂食障害で大変な状態であったところから元気を回復し、素晴らしい笑顔でエイサー踊りができるまでになったYさん、体重が100キロを越し、あまりの重さに膝を悪くしてほとんど歩けなかったのに、短期間で数十キロ痩せて普通にスタスタ歩き、力強い祈りをするようになったHさん、などなど「人は変わる」という現実が、惠泉塾の真骨頂であることをまざまざと見せつけられました。
なぜこんなことが起きるのか? イエス様の時代にあった「教え」と「神業」が確かにここにはある。愚かなほどに神を信じる群れがここにはある。「よし、今日も愛するぞ」と意志して1日を始める人たちがいて、弱っている人を支えている。「あの人のように私もなりたい」と思わせるような模範がいる。お互いに認め合い、どんな個性も受け入れよう、愛し合おうとする生活実践がある。一人一人の個性が輝いている。これが「神の国」だ。私の8ヶ月の余市生活で一番リアルに感じた言葉、それは「神の国」でした。「カメの国」ではありません。こちらのカメムシにはさすがに辟易しましたが…。
今年はその神の国について重要なことを学びました。それは、11月の朝のマタイ伝6章の学びと、翌日の朝礼で、人の体や命よりも神の国を大切になさる、という、神様の愛の優先順位がはっきりわかったことです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)の聖句の通り、自分自身よりも神の国を大切にし、愛し合う世界づくりに励む人の体や命を、神様は守ってくださり、その衣食住を保証してくださる。逆に、神よりも自分を愛する者や自分の正しさを押し通す者、神の国を壊す者を神は裁かれる、という神の国の法則でした。
また、今回の「沖縄事件」では、天からの富がストップして支払いが滞るという事態に直面し、悔い改めることを通して25日で2億3000万円が集まるという奇跡を私たちは目の当たりにしました。1日1000万円単位で集まっていく献金の知らせを聞きながら、私は数年前に姫路で聞いた水谷先生の言葉を思い出しました。それは、「もし期限内に沖縄の病院の建設資金が集まらなければ、私は偽預言者だということになる。その時は喜んで地獄に行く!」というものでした。
沖縄の計画について、私はそれまでどこか他人事のように捉えていましたが、「先生を地獄へ行かせてはならない!」と、初めて自分自身の問題として奮起したのを覚えています。今回のことも、結局は水谷先生の信仰に皆が奮起して行動し、それに神様が応えられたのだ、と思います。
余市で沖縄のために踊ったエイサー踊り。その日の抜けるような青空のもと、かつて心病んでいた若者たちが、青空以上に輝く笑顔で元気に踊る様子を見た時、「神業とはこんなに素晴らしいものなのか」と感動したことも、今年の忘れられない出来事となりました。
そして、12月23日午前2時30分、余市の「惠泉虹乃家」にお世話になっていた父、政博さんが天に召されました。その1ヶ月ほど前にトイレで転倒してから食欲をなくし、一時は回復の兆しを見せたものの、亡くなる1週間前から容態が悪化し、数日間、駆け足しているような呼吸を続けた後、静かに息を引き取りました。82歳の地上生涯、その5日前に誕生日を迎えたばかりでした。
亡くなった後、すぐその場にいた皆で祈りました。その時、祈りの中で出てきた言葉は、ただ神様に対する感謝ばかりでした。その祈りをもって証言を終わらせていただきます。
「主よ、政博さんが苦しまずに御もとへ行くことができて感謝します。友恵さんが最後まで看取ることができて感謝します。何よりも人生最後の9ヶ月間、余市の虹乃家で暮らすことができ、たくさんの信仰の仲間に愛されて過ごすことができて感謝します。また、その空気の中、18年間ずっと患っていた喘息から完全に解放されるという奇跡を起こしてくださって感謝します。あなたが政博さんを余市に送ってくださらなければ、私たち家族もここに来ることはできませんでした。信仰・生活・仕事ともまだまだ不完全ではありますが、あなたが政博さんを通して与えてくださったこの機会に、私たち家族はしっかりと訓練を受け、あなたが行けと命ずるところ、どこへでも参ります。『死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。』(詩編23:4)この御言葉を胸に刻んでいきます。人知をはるかに超えた、遠大なご計画をお持ちの神様、死から命へと引き上げてくださる神様に、心からの感謝を申し上げます。アーメン」
(2021.12.26全国合同礼拝での証言より 合田恵介)