惠泉古河教会新会堂の開所式にて
畑で採れた野菜を使った古河惠泉塾での昼食
1.無自覚の背信
3月の丹波セミナー直前に木下先生から電話が入った。「あなた丹波セミナーに出ないの?」「正統と異端」の出席者名簿を見て、副牧師である私の名前がないとのこと。『しまった! やっぱり出るべきだった』と目が覚めた。「今、あなたが聞いておくべきセミナーでしょ。先生は命懸けだ」と言われ、「そうですよね、現地参加すべきでした」と後悔しつつ即日、古河教会の藤沢夫妻と共に何とかチームズ参加に滑り込んだ。
最近の朝の学びで安間侑佳梨さんのHPトップコラムの証を聴き、水谷先生から「これは皆さん聴いておくべきです」との勧告を『そうだそうだ』と頷きながらスルーした無自覚の背信を「神様ごめんなさい」と謝罪し、都賀の「人生論」にも加えていただいた。
2.御霊によって新しくされた私
2004年に水谷先生と出会い、召団の福音に耳を傾けるようになり、2006年3月に惠泉塾に飛び込んで以来17年間、先生の口から出る命の息の吹き込まれた霊の言葉に養われてきた。朝ごとに内面の闇が切り裂かれ、ヒリヒリとした現実の中で神の子としての人格が形成されていく。何という恵みだろう! あの日以来、私の人生設計などどこへ消えたのか、今、惠泉古河教会に派遣されて牧会にあたっている。予想だにしなかった人生を歩んでいる。
古河に派遣されて半年後、改修工事が完了した新会堂に一組の夫婦を余市から派遣者としてお迎えした。3人暮らしを始めて程なく、奥様の泉住美さんが私を見て、「いのりさんは何をするにも、楽しそうですね。料理しているときは格別!」と、ご主人の達也さんは「いのりさんで良かったなぁ。人見知りする僕は、初対面の人と一緒に暮らすなんてちょっと考えられなかった」と、共に暮らす喜びを表現してくれた。素直に嬉しい!「自分をどうすることもできない厄介者、本当に生き辛い曲者」と長年、不器用な自分を取り繕って生きてきた私にとってご夫妻の反応は新鮮で、「神業です」としか言いようがない。そして、「どこで変わったか知りたい!」としきりに尋ねられて、私のこれまでの体験や惠泉塾の治療と教育の証を紹介するととても喜ばれた。神様によって新しくされねば、今の私はあり得ない。
3.避けて通れない産みの苦しみ
前任地「丹波の宿 恵泉」での10年にわたるトレーニングで、傲慢不遜な『我』が砕けて随分生きやすくして頂いたから派遣先では神様のご期待に添えるだろうなんて、甘かった。時にまだ『我』が頭をもたげて騒ぐ。さらに細くて険しい道を示される。キリストに信頼せずして一歩も立ち行かない十字架の道に追い込まれた。朝毎のキリストとの切結びを怠ると、現実の荒波の中で簡単に足を滑らせることがよく分かった。
古河に派遣されて丸一年、神様のご期待に添えたか? 答えは現実が証明している。古河惠泉塾の塾生のMさんは昨年10月に再入院して半年が経過した。あれだけ愛し合う天幕づくりのレクチャーを受け、「さぁ、あなたたちもやってみなさい。きっと成功するから」と励まされて取り組んだはずなのに、幕屋は未完成のまま放置された。ここに「ほっ」とする空気が生まれないのはなぜか。朝の祈り会でエフェソ書2章20~22節に答えを発見した。
「あなたがたは…聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいてあなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」
これまで「天幕」のイメージで神様の住まい所を求めたが、「神殿」のイメージに切り替えてみた。天幕の中心には十字架という柱が立っている。神殿の場合、大切なのは土台だった。「土台の点検が必要だ!」と閃いた。「使徒や預言者という土台」が据えられているか。
パウロは「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおのどのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」と語った。
古河惠泉塾の献身者3名は共に惠泉塾に来る前に土台があった。福音派の信仰で養われ、行き詰まって日本キリスト召団で真理に目が開かれた。古い土台にはキリストが据えられていない。古い土台が完全に壊されて更地に新しい土台、召団の福音、キリストというかなめ石が敷かれてあるか。三人三様、異なる個性は素晴らしいが、土台が違えばどんなに愛し合おうと努めたところで建物全体は組み合わされない ―― という訳だった。
4.丹波セミナー、都賀セミナーから
Mさんを一日も早く元気にしてあげたい! 古河惠泉塾が新たに生まれ変わるために、避けて通れない産みの苦しみにあって、解決の糸口は、3月の両セミナーに参加しなければ発見できなかった。木下先生の電話は神様からの愛の警告だった。
丹波セミナーでは、先生から「あなたの両親にはどうして召団の信仰が伝わらないのだろう」と問われ、「最近は両親もまた犠牲者かなと思います。正しい福音を聴いてこなかった」と直接問答したことだけが、際立って印象深い。両親と信仰が一致できないという現実もあり、私には彼らが「異なる福音」に染まっていると見えて、ここにも信仰の土台という問題がある。彼らの土台は「自分のため」であり大切なのは「我が家」であって、「神のため」でも「隣人のため」でもない。異なる土台に建てられた信仰生活には命がない。
都賀セミナーでは、岡田芳子さんと先生との問答が印象深い。先生の言葉と表情にキリストの苦悩を見た。苦しむ娘、尚子さんを元気にしても飛騨高山の実家は「世の権威」下にあり、惠泉塾で「神の権威」に服して本来の輝きを回復しても、家に帰ると別人のように壊れてしまう。「もう二度と壊れた彼女を僕の前に連れてこないでください」との先生の言葉に、キリストの血潮がこれ以上無駄に流されて良いのかという執り成し手の痛みと、「私はこの娘を一級品として、自信作として世に産み出したのだ」という創造主の叫びがあった。受け皿が整わないという神の挫折…、Mさんと尚子さんが重なり、胸に突き刺さった。
「はっきり言っておく。人は新たに生まれなれば、神の国を見ることはできない」。主イエスがニコデモに語った言葉は今、水谷先生から古河惠泉塾に語られている。かつて「私の人生」という小さな枠で受け取ったこの御言葉を今、共同体の一員として真正面から受け止める。肉の命から霊の命へ。人間中心から神中心へ。惠泉塾は仲良しクラブではない。神の国でなければならない。神の命が生き生きと躍動する神の活躍舞台であらねばならない。
滑り込んだ3月のセミナーで、「土台の据え直し」と「受け皿の変革」、二つの大きなカギを掴んだ。
5.開所式を迎えて
2月26日、待望の新会堂開所式が行われた。教会員の信仰は全体として、「異なる者が互いに愛し合って一つとなる世界づくり」に照準を定めて、この一年で飛躍した。「我が家」から「隣人へ」「地域へ」と視野が開け、心合わせて「新しい魂を与えてください」と祈る。
しかし、新しい魂が真理に渇いて教会を訪ねてきても、もし惠泉塾で倒れていた塾生が信仰によって立ち上がるというドラマが起きなければ、語る福音には力がない。実質の伴わない観念的な言葉に失望するだろう。今、惠泉古河教会に求められているのは、神様のご活躍舞台と、事実に裏付けされた生きた神の言葉である。副牧師として立たされ、この先も前途多難が続くことは明白だからこそ、今なすべきことは何かと問われている。
「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(へブライ人への手紙13:7)
人生の師水谷先生と出会って20年を経ようとする今、私は師の衣鉢を継ぐ最終ラウンドを走っている。先生の内に燃えるキリストの霊が我が内にあり、また私たちの間でますます赤々と燃えるよう、あてがわれた十字架を喜んで担いつつ歩む。
今はまだ夜明け前。しかし曙の光の如くに主の栄光が現れる日は近い。私の人生がそうであったように、古河にも神業が必ず起こる! 愛し合う光の世界が間もなく来る!と、期待だけは日増しに膨らんでいる。