ニュース&トピックス

惠泉塾前史~唯一信頼できる神 

あなたは今日までに何かに導かれて歩いて来られましたか。感情の赴くままにですか。それとも、ご自分の経験値ですか、人生の大先輩の忠告ですか、思想哲学、易や占い、あるいは宗教ですか。

移ろい易い人間の感情など最も当てにならないものです。高々百年に満たない人間の限られた活動範囲に基づく経験値がどれほど当てになるでしょう。易や占いは統計学だと言う人もいますが、霊感の働かない普通の人にできる業とも思えません。

人間が当てにならないからと言って、盲目的に宗教に頼っても良いものでしょうか。宗教の御本尊にしても、それが真の神か悪魔か、もの言わぬ木石か、はっきりさせるべきではありませんか。奇跡を起こすから真の神なのではありません。偽預言者、偽キリストも大いなる奇跡を行うと聖書が教えています。病を癒すから真の神なのでもありません。新興宗教はたいてい病気の癒しを売り物にしていますが、数え切れないこれら宗教の神々が全て真の神だとは言えません。又、異言を語るから神の御霊に満たされているとも言えません。私は悪霊が目の前で鮮やかな異言を語るのを見ました。行動を逐一指示する霊が必ずしも聖霊だというのでもありません。行動を指示されて利益を得ていた初めは自分の霊的優越が嬉しくもあり誇らしくもあったのに、次第に自由を奪われ、霊に操られる傀儡になり、遂に行き詰まって助けを求めて来た婦人がいました。彼女に関わったのは明らかに悪霊だったのです。降霊術師は勿論のこと、未来予知を売り物にする夢見る少女も易者もみな悪霊の使いだと聖書は教えています。

だからと言って、徴も不思議も奇跡も起きない信仰生活が正しいのではありません。悪霊の障りがなくて安全だとは言えますが、聖霊の御働きも無いのですから、どこか間違っているのです。なぜなら復活の主は弟子らを世界宣教に遣わされるに当たって、こう約束しておられるからです。「信じる者には次のような徴が伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、又、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手をおけば癒される。彼らが福音を語る時、主も共に働き、御言に伴う徴をもって、彼らが語る言葉が真実であることをはっきりお示しになる。」

二十歳の時から今日まで私を導いておられる方は主なる神。得体の知れぬ守護天使でも死んだ預言者モーセや使徒パウロの霊でもありません。霊に自分の名を語らせてごらんなさい。“主”という聖なる御名を偽って名乗り得る霊はありません。主こそ天地万物の造り主、聖書全巻を貫いてご自身を証ししておられる唯一真の神なのです。この方にこそあなたの人生を委ねるべきです。天地創造から終末、新天新地に至る迄、一切の権威をもって支配しておられるこの方だけが、唯一信頼できるお方だからです。