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惠泉塾前史~喜楽な人生、教えます

(詩篇 第13篇)

1. 主のほかに神を選ばない
一応教会に在籍し、或いは熱心に礼拝に通っていても、自分の思い優先の生活を送り、神のご意志に忠実でなければ、その人もまた、ダビデの言う「ほかの神を 選ぶ者」です。彼らは、我にこそ幸福を、と求めつつ、我知らず、悲しみ多い人生を選んでいるのです。全てのものの上にいます神を敵に回して、非力な人間が 向こうを張って、一体何を成し遂げようと言うのでしょう。私達の不幸の原因の一つは、神への不従順にあります。

2. 主は私の受け継ぐ遺産
イスラエル11部族はそれぞれ受け継ぐ土地を与えられましたが、祭司職に任ぜられたレビ族だけには具体的な土地が与えられず、その代わりに“主なる神”が彼らの受け継ぐ遺産として与えられました。ダビデは、自分もレビ族と同じだ、と歌っています。
彼はイスラエルの国王になりましたが、自分が戦って勝ち取った目に見える土地や財宝を神から受け継ぐべき本当の遺産だとは思っていませんでした。この世 の富は自分の思いどおりに使えますが、使えば尽き、いつ騙されて他人に強奪されるか分かりません。武将として、国王として、ダビデはそのことを痛切に知り 抜いていましたから、それに信頼することが出来ませんでした。
ダビデは誰にも略奪される心配の無い天にある、使っても尽きない遺産を求めました。それは、目に見えない“主なる神”ご自身です。主はダビデにとって葡 萄酒のようでした。葡萄酒は農民の一年の労働の成果です。神からの祝福の恵み、人間にとって喜びの源、活力の源、命の源です。この世の葡萄畑と葡萄酒はこ の世の富み栄えた人々のものです。しかし、その根源にある見えざる無尽蔵の葡萄酒は神に従う聖なる人々のものなのです。

3. 主をお迎えする位置
ダビデはいつも自分を退け、神を先導者に立てました。神の前には満ちあふれる喜びがあり、神はその喜びを刈り取りつつ前進されるので、後に従うダビデも 喜びに踊り狂った程でした。彼はまた、神に権威の座を譲りました。神の右にはいつもいろんな楽しみがあり、神は楽しみに促されつつ計画し、敵陣を攻略する ので、配下のダビデも戦っていても楽しくってなりません。彼は喜びと楽しみに満ちた労苦を存分に味わいました。
神に委ねた人生は、このように常に喜びと楽しみに満ちており、不安がありません。肉体の終わりが来ても沸き返るこの盛んな生命を墓に押さえ込めるとは到底思えません。