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惠泉塾前史~我が友、弱き者よ

昭和60年度が終わろうとしている。各部署で反省会が行われた。私は2年の担任で、生活指導部の校外指導と生徒会係を担当した。教科は国語科、クラブは演劇部である。総じて責務を充分果たし得たとは言い難い。職業人としての私の能力は三流のようである。精一杯やっても、あちこちに穴があく、水も漏らさぬキチッとした仕事ができない。私の場合それは殆ど事務的な仕事だが、あやまるのもひと苦労である。何とかよい工夫はないものか、と思う。

同僚を見ていて、人には三ツの型(タイプ)があるように思う。1ツはアイデアを豊かに出して企画する人、2ツは実行力のある人、3ツは事務処理をテキパキこなす人だ。そして各々の型にはそれに相応しい人生観・価値観がある。1の型は物事にこだわらない浪漫派、2の型は状況に応じて実際的に判断する現実派、3の型は規則墨守厳罰主義だ。私は元来3の型の人間で、規則を乗り越えて物を考えることができなかった。そのかわりなかなかの実務型の人間だった。それが大学受験の失敗で挫折してしまったのだ。精神的ドン底から信仰を得てはい上がった時、私は1の型の人間になっていた。3の型で生きぬくためには絶えず優位に立って勝利をおさめ、人を裁く側に位置せねば落着けない。彼等の多くは規格に合った優等生(或いは自ら優等生たらんと憧れる者)で、逸脱した型破りの人間は彼等から裁かれる側に回らざるを得ないのだ。

生徒にも同じことが言える。3の型の生徒は所謂手のかからない「良い子」で先生に重宝がられる。ところが1の型の生徒は、不幸なことに、「学校社会」では、先生の指導にのらない「問題児」即ち、「悪い子」なのである。ああ、悪い子よ、規格の中では生きぬけなかった君こそ、挫折の味を知った君こそ、僕の本当の仲間なのだ。