ニュース&トピックス

惠泉塾前史~我が命を救う秘訣

(マルコによる福音書8:31~37)

1.私達は皆、救いを必要としている
イエスは実際、神の子でした。彼には自分勝手な我儘というものがありませんでした。いつも天地万物の創造主を“お父様”と呼んで、その方の指示に完全に 服従していました。偽善を憎み、悪霊を追い出し、病める者を癒し、空腹の者を満ち足らせ、孤独の者の友となり、悲しむ者に本当の慰めを与え、自分は無理解 のただ中で枕する所もなくさまよい歩き、弟子に裏切られ、群衆の非難を浴び、宗教家の陰謀によって犯罪者に仕立て上げられ、十字架に釘付けられて殺されま した。誰一人、イエスの味方に立つ者はいなかったのです。イエスから身にあまる恩義を受けながら、「十字架につけろ」と叫ぶ群衆に混じって、成り行きを見 守るほか何も出来ない優柔不断な自己保身の塊が私達なのです。何という悲しむべき存在でしょう。私達は善を慕いながら罪を犯す哀れな存在なのです。

2.人の情は惑わし
一番弟子のペテロは、イエスがこの世の権威者に殺されると聞いて、「とんでもない、そんなことがあってはなりません」とイエスを諌めました。イエスのど こにも殺されるほどの罪も過ちもありません。弟子なら当然そう言わずにはおれないのが人情でしょう。しかし、イエスはペテロを“サタン”と呼んで退けまし た。ペテロは、神のご計画以上に人間イエスの生存を優先させようとしたのです。イエスが死んだなら、神のどんな素晴らしい計画も水の泡ではないか。イエス が死んだなら、残された私達はどうなるのか。サタンはいつも、この手で私達を惑わし、勇気を挫くのです。イエスは敢然とペテロの言葉を退け、不安におびえ る弟子たちを神に委ね、自分の果たすべき任務に服しました。

3.天国に続く一本道
イエスは殺されて終わるのではなく、三日後に復活する、と言われました。今の苦難から救い出すだけの対処療法では根本的な救済になりません。イエスは 人々を摘みの世そのものから救い出したいと願われ、「利己的な生存競争へと追い立てる古い肉の思いを十字架に釘付けにして、神から自分に割り当てられた聖 なる任務に従順に服する時、罪に汚れた肉の手足は新たな神の道具となり、偉大な神のご事業を推進することになる。それが地上の苦難を忍び通した私の生き様 にあやかることだ。そのように、私の苦しみに与かって、その死の姿にあやかるなら、私と共に復活に達する。」と言われました。本当の救いは、死苦さえいと わぬ盛んなる命・復活の命に生かされることにあるのです。