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惠泉塾前史~救いの火は苦しみの松明で燃え盛る

「祈りの家」がまだ完成しないうちに、駆け込まずにいられない姉妹がいた。私達の私宅の子供部屋の一つを急ぎ整えて、姉妹を待った。

しかし、乳飲み子を抱えた彼女は「祈りの家」がまだ使えない状態だと知って私達に遠慮し、M姉の家で三日を過ごした後、夫の元に残して来た年上の二人の子供のことが気掛かりになって、まるで燃え盛る火の中にとって返すように、恐ろしい夫のもとに帰って行った。三夜、M家で信仰の友と語らう中に、これからは何時でも幾度でも「祈りの家」に逃げ帰れる、そこで信仰を立て直して、また主なる神に与えられた自分の持ち場に戻ればいいのだという思いが起こり、それが彼女に安心を与えたという。肝臓が悪く医者に酒を禁止されていながら飲まずにいられない夫、諌めれば暴力で報いる夫を救い出すのは、外ならぬ主なる神ご自身の願いであり、そのために一番苦しみ、傷つき、涙しているのは、妻の彼女以上にキリストであること、愛する夫の奥で猛威を奮う敵と戦うのは彼女ではなくキリストであること、そのキリストの十字架の御苦しみを共にさせていただく光栄こそ「信徒の特権」であり、キリストに対する愛の最善の表現であることに気づかされたと言えるだろう。ここに至るまでに友の涙の執り成しの祈りが溢れるばかり天に積み上げられたことを忘れまい。

帰宅した翌日の日曜日、夫の許しを得て教会の礼拝に出席した彼女を迎えたのは、愛するエルサレムが不信仰のゆえに滅ぼされてしまうことを嘆き、贖罪の十字架を担う為に敵の憎しみが燃え盛るエルサレムに向かおうとされる主イエスについてのメッセージだった。それは彼女自身の体験でもあった。溢れる涙をもってメッセージを受け取った彼女は、たまらなくなって押し出されるように前に進み出、許しを乞うて自分の三日間の顛末を証ししたところ、牧師をはじめ多くの信徒の魂が揺さぶられ、彼女自身の容易に消え去らない豊かな喜びに与かったということだ。苦しみのドン底にある彼女こそ眠る信徒の魂を揺り起こす恵みの神の警鐘となった。「苦しみにあひたりしは我に善きことなり。これによりて吾、エホバの律法(のり)を学び得たり。」(詩篇第119篇71節)との聖書の言葉は彼女のうえに成就した。苦しみを避けて通ろうとする者には終に悟り得ない神の愛の素晴らしさが、敢えて迫害の任地に戻った彼女の理解するところとなった。ハレルヤ